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 学年末で、中身もほとんどなくなった午後の授業を適当に流し、放課後。
 僕と直也は直で学校から帰宅――するように見せかけて、松城駅のロッカーから朝のうちに預けてあったバックを引き出す。
 その中に入っているのは、二人分の私服。
「よし、ちゃっちゃと着替えんぞケータ」
「ああ」
 仲津原付属はこれでも私学。生活指導はそこそこ気合いが入っており、松城市内の繁華街は寄り道対策で先生が巡回している。
 そんな中に制服で飛び込めば、運不運があれどいずれお縄である。
 その対策として用意したのが――私服。
 生活指導の先生は基本的に生徒かどうかを制服で判断するため、私服でその他大勢の人混みに紛れれば高確率でその目を逃れることができる。
 よしんば顔見知りの先生に見つかっても、私服であれば(時間的に可能かどうかはさておき)『帰宅後に遊びに来ただけ』という言い訳が可能である。
 手口としては、朝、まず古い体操着の袋に詰め、通学時に松城駅のロッカーに服を隠しておき、帰りにそれを回収。
 駅のトイレで着替え、私服の代わりに学生服・カバン一式をロッカーに放り込むことで完成となる。
「出来たか直也」
「ああ。ロック完了。鍵は俺が持ってるぞ?」
「ああ。任せた」
 そうして二人で装いをすっかり変え、目指すは松代駅前繁華街。
 ゲームセンター『とんちき堂』だ。



 松城駅繁華街の一角にあるゲームセンター『とんちき堂』。
 史香と直也の因縁の地であり、僕ら四人が出会った場所。
 その前には既に女子二人が既に私服で待っており、
「来たわね先輩……今日で逆転よ!」
「はははこの子はまた愉快な冗談を。今年も泣いて土下座させてあげるよ」
 早速史香と直也が火花を散らし始めた。
 ……ここに集まったのは他でもない。もはやこのゲーセンの名物ともなった頂上決戦。
 毎週金曜日。直也と史香が週一回、初めて戦った格ゲーで、ガチンコで勝負する日。
 4月から1年間通してスコアを付けていき、年間の勝敗数で勝者を決める、いわばシリーズ戦。
 実力が伯仲しすぎるがゆえ、日を空けて回数こなさないとどっちが強いかわからない! と史香が主張し、去年度以来続いてきた恒例行事のようなものだ。
「よっ」
「えへへ。こんにちはです。せんぱい」 
 由子は史香の応援に。僕は冷やかしがてらこの集まりに参加している。
 由子の家が厳しいらしく、金曜日しか外出が許されないとかで、この日は彼女にとっては一週間に一度のお楽しみの日らしく金曜日の彼女はいつも上機嫌だ。
「じゃ、いきましょっか」
 四人揃った所で、史香を先頭にゲーセンの自動ドアをくぐる。耳慣れた騒音と、嗅ぎ慣れた独特の空気。そして、
「お、来たぜ! お嬢だ!」「待ってました、お嬢!」「おお、お嬢! 今日こそあのクソ坊主をギタギタに!」「お嬢! お嬢! お嬢!」
 途端に響くのは史香を称える常連さんたちの声。
「あーもうお嬢言うなぁ!!」
 ……史香は、このゲーセン『とんちき堂』店主の姪っ子であり、格ゲーにおいてこのゲーセン最強のある意味お姫様的存在であった。
 また、本人も直也に負けるまでは、わりとノリノリで『お姫様』をやっていたらしく……ある意味、現在進行形で見せつけられる黒歴史。
 そう考えると、何とも史香が不憫であるが。
 そんな感じで適度に周囲に騒がれながら二人は定位置となった向かい合わせの席に座り、
「叩きのめしてやんよ『お嬢』」
「だからアンタもお嬢言うな! ……ギッタンギッタンにして今日こそ逆転してやるんだから!」
 毎度ながら、あの二人の実力は伯仲しているようで、一年通しての戦績はほぼ五分五分。
 現在のスコアも、先週史香が辛勝したことでちょうど勝敗数が同数となった。
 今回史香が勝てば、今年度5度目の勝ち越しとなるが……どうなることやら。
「ふみちゃん、頑張れ!」
「うん、頑張るよ! 見ててゆこ!」
「お嬢頑張れ!」「野郎になんかに負けんなー!」「真の力を見せてやれ!」
 横では史香に由子がエールを送っていた。後その他大勢の常連さんの山も。
 そんな光景を見ていると、僕もなんとなくやらなきゃいけないような気になって、とりあえず、
「直也。……あー、まあ適当に頑張れ」
「……何でお前の応援はこうテンション下がるんだろうな」
「おいおい。全方位アウェーの舞台で唯一の味方に何を言うか」
「うっせぇ気力を吸われるからあっち行け」
「酷い言い様だな」
 そうこうしている間に両者がコインを投入。
 よどみない操作で各々の持ちキャラを選択し、

 ――激闘の火蓋が、切って落とされた。



「ふぎゃーーー!?」 
 十数分後。
 史香の奇声をもって、今回の金曜日恒例ガチンコバトルは幕を下ろした。
「ふ、今回も俺の勝ちだな」
「お前カッコつけてる割には相当ギリギリだったからな?」
「ふみちゃん、惜しかったね……」
「後一歩……ワンラウンド、一ドットだったのに……っ」
 まさに史香の言うとおり。負け惜しみでもなんでもなく、ゲージが見えるか見えないかまで直也のHPは削られていた。
 二本先取で、両者(しかも毎度ぎりぎりの接戦で)一本ずつ取り、また最後の一戦も史香が後一歩まで削っていたのだ。
 だが、本当に土壇場で直也の必殺技がカウンターで決まるという、出来過ぎなほどの逆転劇。
 毎度のことながら本当にハイレベルな名勝負だった。
「来週は絶対沈める……」
「ははは。ここで一気に差を開いてさっさと祝勝会でもやりたいもんだな」 
 これでスコアは再び直也の一勝リードに。だが、簡単に差が開かないのがこの二人で。
 多分次回は史香が勝つ気がする。なんとなく。
 どこまでも付かず離れずというか。
 ――とまあ、そんな感じで、今日の一戦は無事終了。
 そうは言っても、スコアを付けるのが一週間に一戦なだけで、それで収まるような二人でないのはその熟達した腕からしても明々白々。
 一回限りの真剣勝負を終えると、二人はいつものように店の常連さんたちとあれこれ言い合いながら交代交代でいろんな人と対戦を始める。
 そうなると、格ゲーはさっぱりの由子はさすがに退屈するわけで、
「わ、と、えいやっ」
「ほれ、来たぞ」
「えとえと……えいっ」
 こちらもいつも通り、二人並んでガンシューティングを始めたりする。
「わ、弾なくなった……えと、リロード、リロード……っ」
 由子はなんというか、いつも通り変わらずわたわたしており、でも楽しそうにしている。
 僕はと言うと、ルートも配置も全部覚えきったゲームなので、由子のフォローに徹し、ゲームが終わらないようにというプレイに徹している。
 むしろ、“敵を間引き、いかに由子にとって十分な難易度にするか”という妙な縛りプレイみたいな状態で、逆に僕も僕で楽しかったりする。
「ちょっと上手くなったな」
「そですか? ……せんぱいには全然敵いませんでけど」
 そう言って照れくさそうに笑う由子。
「せんぱいは上手ですよね、ゲーム」
「記憶と慣れだな。出てくる場所を覚えてりゃ先手が打てるし、リロードと照準が早けりゃそのぶん数を処理できる」
「記憶……ですか」
「ゲームって何でも慣れと記憶だよな。体と頭で覚えて攻略する……っていう」
「……でも、そういうのって、寂しくないですか?」
「寂しい?」
 予想外の言葉に、少し戸惑う。 
「お互い必死で戦ってるのに、私たちは相手の出てくる場所がわかってて、それを攻撃するだけ、っていうのは……どうなのかなぁ、って」
「あー……なるほど」
 確かに、“ゾンビハウスに閉じ込められて、そこから命がけで逃げ出す”といった、いわゆるシチュエーションを楽しむ人間からすれば、『覚えゲー』を推奨するというのは身も蓋もない話ではある。
「そういう意味では、覚えないでぶっつけで挑んだほうがドキドキワクワクはするよな……ただまあ、ゲームを攻略する、という楽しさを味わおうとすると試行錯誤して、覚えて慣れる必要がでるんだけど」
 そして、そういう風に努力ができるやつが、いわゆる俗に『ゲームが上手い』と言われる、それこそ直也や史香のような人間なんだろう。
 僕もそれなりにそう言う遊び方はするが、極めるところまでは行かない。
「うーん……じゃあ、覚えないで初めてでドキドキしながらクリアできるゲームなら、みんなが楽しめるのでは?」
「すぐ飽きられて終わりだよなそれ」
「あう……ゲームが苦手な人はゲームは楽しめないんでしょうか」
「由子は苦手なりにそこそこ楽しめてないか?」
「先輩がいなかったら、たぶん即死でしょんぼりです」
「…………うん、まあ」
 それは否めない。
 由子が楽しめるようにと一緒にプレイしているというところもあるし。
「……やっぱり、私はゲームに向きませんね」
 そう言いながら、ゲーセンに来ている由子。
 その矛盾は、初めて話した会話のきっかけでもある。
「相変わらずか」
「相変わらずです」
 直也のバカが、丁度いい好敵手を見つけて、このゲーセンに入り浸りはじめた直後。
 その時はちょうど夏休みで、僕も暇を見つけては直也と史香の名勝負を見物しに来ていた。
 そんな時出会ったのが、そのゲーセンの表でへそを曲げてしょぼくれていた女の子――由子だった。
 僕は直也の友達で『お嬢』こと史香の側に居たその女の子のことも多少は覚えていて、だから声をかけた。
 こんなところでどうした、と月並みな言葉だったと思う。
 それに返ってきたのは「ゲームが苦手だったら、友だちになれないのかな」という言葉。
 女の子は言う。『お嬢』はゲームが大好きで、だからとっても得意で、でも私は何をやっても全然ダメ。
 一緒に遊べない自分は『お嬢』とは友達でいちゃダメなんじゃないか――と。
 馬鹿げた悩みかもしれなかったけど、でも僕は何だか妙な共感を覚えた。
 ……当時の僕にとって、ゲーセンで大暴れする直也はバカ仲間であると同時に、自慢の友達であった。
 でも、それ故に直也が“自分が踏み込めない場所にいる”という壁を感じてもいて。
 だから、
「……それでもいいんだ、ゲームなんて出来なくったって大丈夫だ、ってせんぱいが教えてくれたんですよね」
「そんなこと言った気もするな……」
 多分そこそこフラストレーション溜まってたんで、相当偉そうなこと言った気もする。
 おそらく、半分は自分に言い聞かせるように。
「そのおかげで、私は今でもふみちゃんと友だちでいられます」
「それはないだろ。僕がいなくても、二人はずっと友達でいられた気がする」
「いえ……そうでなかったら、私が多分、あの時から離れていっちゃったかもしれなかったですから」
 それに、と由子はつなげて言う。
「せんぱいがこうして、ふみちゃんが遊んでいる間に一緒にいてくれて……だから、ゲームは苦手でも、好きになれたんだと思います」
「あー。まあ僕も暇だったからな」
 直也たちの超人決戦はとてもついていける世界じゃないし。横で見ているだけというのも面白くないからな。
「だから、せんぱい」
 そう言って、彼女は改めてこちらに向き直り、
「――これからも、暇な時は、よろしくお願いしますね」
 そう、はにかみながら言うのだった。



 日が傾きかけた午後4時半。
 思い切り遊び、全力で楽しんだ祭りの後。
 夜の足音が聞こえはじめた夕暮れ、ネオンの明かりが灯りはじめた繁華街を、四人分の影を並べてゆっくり歩く。
 そんな中で直也と史香は、まだ格ゲー談義に夢中だった。
「あー、やっぱキャラ変えるかな……」
「先輩また替えるんですか?」
「ほら、ヴィートが面白そうな技持ってるじゃん。前からアレでフィニッシュかけたいなーと」
「いいですよ? 慣れないキャラでもたついてる間にギッタギタにしてあげますから」
「俺が二度もそんなヘマ踏むとでも? 徹底的に練習してモノにしてから投入するに決まってるだろ」
「どうだかー ま、私はどっちでもいいですけどね。先輩がどんなキャラで来ようと、次こそ勝ち星はもぎ取って見せますから」
「は、どうだか。俺の華麗な技の前に次ももひれ伏させてやるよ」
「ふふ、ふふふ……」
「くくっ……くははははっ」
 ……なんだろう。すごく楽しそうだけど今激しく他人のフリをしたい。
 ふいと目をそらすと、機嫌良さそうに歩く由子の姿。
 その首元のマフラーを見て――ふと、僕は今朝のことを思い出した。
「そういや、朝なんか言いかけてなかったか?」
「はい? …………あっ、そ、そう、ですね」
「今なら邪魔も入らなそうだし、由子さえいいなら聞くけど」
 横で変な笑いを浮かべながらガン飛ばし合ってる謎い二人を見ながらそう言う。
 だが由子は、
「えっと、あれはちょっとした気の迷いというか、思いつきみたいなもので、その……」
 そう言って、黙ってしまう。
 でも多分それは彼女が言いたいこと。
 躊躇い……それでも伝えたいと思ってくれたこと。
 そうでなければ彼女は決して口を開かない。
 今までもそうで、多分これからもそう。
「……マフラー」
「ああ」
「自分で、作ってみたんです。これ」
 右手で弄りながら、しかし視線は下げたまま。
「……そうだったのか」
「それで、自分のものは上手くいったから、だから――」
 そこで、少しだけ息を呑み込み。
 大きくないけど、はっきりと通る声で。
「先輩のために、……作って、あげたい……です――っ」
 ……まったく。
 本当に彼女からは与えられてばかりで。
 躊躇いながら、それでもまっすぐに届けてくれる。届けようとしてくれる。
 ……なら僕は?
 懸命に僕と向き合う彼女に、僕は何を返せるのだろうか。
 報いることは、できるのだろうか。
 僕は。
「由子さえいいなら。……喜んで」
 今の僕は不器用で、笑顔でそう応えることしか出来ないけれど。
「はいっ」
 いつかきっと。
 報いてあげたいと、思う。

 未だ早い夕暮れ。肌寒い金曜日。
 もう少し、冬が長く続けばいいなと、ぼんやり思った。