週が変わって月曜日、有賀君は金曜日も来てたけど、その日は本当に本を読むだけで終わった。授業が終わる午後四時半から最終下校の六時半まで、多少の雑談を交えつつひたすら静かな部室でページをめくるだけ。それについてこれる彼は、やっぱり色んな意味で適正があるんだろう。
「さて、先輩、とうとう月曜日ですね。いつやるんです」
 そう、今日からは正式に入部が許可される。もし彼にその気があるなら、本当のことを伝えなければならない。彼の驚く顔を想像し、思わず笑みがこぼれる。
「まったく、和美ちゃん悪い顔になってるわよ。いつにするも何も、彼が入部届を持ってこないことには何も始まらないわよ」
 そんな私を嗜める先輩の顔にも隠し切れない笑いがにじみ出ている。なんだかんだ言って似た者同士なのだ、この部活に来る人間は。
 そんな会話をしていると、扉がノックされ、しかし返事より先にそのまま開けられる。三日目にしては慣れるのが早いのね。
「すいません遅れました、先生のホームルームが長引きまして」
 そういいつつ入ってくるのは期待の後輩、有賀君。手にはしっかりと白い紙が握られている。詳しく見る必要もない。あれは入部届だ。やっぱり、彼も私たちと同じなのだと感じる。
「それとこれ、入部届です。本当は顧問の先生に出すらしいんですけど、いないそうなので、風祭先輩にでいいんですよね」
 そう言って差し出される紙を受け取って、先輩が微笑む。あ、有賀君赤くなってる。美人だしね、先輩。
「えぇ、そうよ。じゃあ、はい、和美。バトンタッチ」
 遠くから初心な後輩を楽しんでいたら、いきなり先輩から声をかけられる。驚く私に、いましがた受け取った入部届を握らせて先輩が笑う。
「正直私より詳しいでしょ。お願いね」
 そう言って、先輩はさっさと自分の領域に引きこもって知らんぷりを決め込む。
「ちょっと待ってくださいよ、部長の仕事でしょう、これ」
 唖然とする私と有賀君。ハッとして抗議の声をあげても、先輩は意に介した様子もなく再び本の世界へと飛び込んでいく。
「そんなのありですか……有賀君、あんな先輩になっちゃだめよ」
「え、あ、はい。そう、ですね」
 そう言いあって、二人でため息をつく。本当に、困ったものだ。私は人に説明するのって苦手なんだけど……あら。
「ちょっと待ってね有賀君。お客さんがくるみたい。口で説明するより見てもらったほうがはやいし、ちょっとだけ待ってて」
 そう告げて、目を白黒させる有賀君を尻目にポーチからトランプを取り出す。この時期だし、多分用事はこれで事足りるでしょう。
 混乱から立ち直った有賀君が口を開くより先に部室の扉がノックされる。ほら、おいでなさった。先輩ほどではないけど、私のも当るものね。
「今あけます。少しだけ待ってください」
 そう言って、席を立って扉をあけに行く。外に立っていたのは運動部の学生だろうか、少し大柄の男の子だ。
「ええっと、はじめまして、ですよね。二年の山口信行と言います。新歓で使う道具をなくしてしまって、友達に聞いたらここに行けばわかるって言われたんで……」
 ほらきた、はいはい、失せもの探しね。それくらいならものの五分で見つけてあげましょう。
「それで来たわけね。いいわ。ちょっとそのまま待ってて。五分もすればわかるから。ちょうどいいから有賀君も見てて。この部の活動を教えてあげるわ」
 そう言って、戸口の依頼人を残して席へと戻る。
「さて、種も仕掛けもありますよ、なんてね」
 軽く(うそぶ)きつつ、目を閉じ、手にしたトランプをシャッフルし始める。でも、手を動かすのはあくまでその方がやりやすいから。必要なのはイメージだ。依頼人の名前と、外見のイメージを頭の中に思い描く。それをイメージの中の校舎に広げていく。彼の現在地、そして、校内にある彼の痕跡……。
 隣で見る有賀君が息をのむ音が聞こえる。彼は「視えて」いるようね。当然のことだけど、それが確認できただけでも意味はあったということか。
 ある程度出来上がったところで目を開ける。シャッフルしていたトランプの束が淡い光を帯びている。よしよし、上手くいっているわ。束の中から最も光の強い一枚を選んで抜き取って机の上に出す。今回は一枚で済んだということは、単純に忘れてきただけのようね。
「スペードの六ね……山口君、今日の昼休みにでも中庭使ったんじゃないかしら。その場所にそのまま落ちてると思うわ。確認してみて。もしなかったら、またここに来てくれるかしら」
 依頼人の方を見て、そう声をかける。一瞬唖然としていた彼だが、しばらくして思い当たることがあったのか、お礼もそこそこに走り去った。この分だと二度目はなさそうね。
「今のって、どういうことですか。あの青い光は、それにどうしてあんなことを言えたんですか」
 依頼人が走り去り、扉が閉められたところで有賀君が堰を切ったように口を開く。おうおう、初めて来たときのおどおどした彼はどこへやら。全く、誰に似るんでしょうね、こういうの。
「はいはい、ストップストップ。一から説明するからそうがっつかないの」
「あ、すみません」
「さて、それじゃざっくりと説明していきましょう。まず前提として、この世界には魔術もあれば異能もあります。ただ、それが一般の人には見えないというだけでね」
 そう前置きして、話を始める。去年の私が先代に教えてもらったように。あのころからもう一年。思えばあっという間なのね。
「異能と魔術の区分けっていうのは結構難しいんだけど、基本的に大気やモノに宿る魔法の力、私たちは便宜的に魔素って呼んでるけど、その魔素を利用して術式を組み上げるのが魔術。さっき私が使ったのがそれね。そして、自分の中にある魔素を組み上げて行使するのが異能。例外とかもあるけど私たちが使う限りにおいては気にしないでいいわ」
 そこまで言って、有賀君のほうを見やる。まだ理解が追い付いていないのか、ちょっと頼りない顔になってるけど、目の輝きはさらに強まっている。
「なんで一般に隠されているのかを説明しだすと日が暮れちゃうから、知りたかったら適当にそこら辺の文献あさってね。で、この部活は学校で正式に認められてる魔術サークルなのよ。顧問の先生がいなくて、部員数が三人しかいないのに部として認められているのはそういう理由」
「それで、あんな妙な位置に一枚だけビラが貼られていたんですか」
 おっと、なかなか勘がいいな。とはいえ、あんな怪しさ満点な場所じゃ当然よね。
「そう。普通に部活として大々的に宣伝してしまったら隠されている異能が世間に知れ渡っちゃうからね。私たちは毎年一人しか部員が入らないようにしてるわけ。あの場所に貼られているのも、あのビラの形式も、魔術的にちゃんと意味があるのよ。そういう素養を持った人間にだけ興味をひかれるようにね。君も少ししたらわかるようになるわ」
 さて、七面倒くさい御託はここまで。ここからが本題だ。
「で、ここからが本題ね。この活動が学校側に部活として認められているのにはそれなりに理由があるの。部室と活動資金をもらう代わりに、私たちはこの学校で起きる魔術的な問題の解決を任されるわけ。まあ、さっきの子みたいなのは別だけどね。あれはいわゆるボランティアよ。
 基本はいくつかの場所に張られている結界の維持管理程度の楽な仕事なんだけど、たまに、本当にたまに、ガチでやばいモノが湧くことがあるのよ。学校っていうのは君が想像している以上に闇をため込みやすいから。
 それに巻き込まれれば、最悪死の危険にすらつながるわ。のんびり本を読んで魔法のお勉強ができる環境とは、お世辞にも言えない。魔術的な事故や事件で死んだとしても、それはすべて事故死として処理されるし、何らかの見返りがあるわけでもない。それでも君は、ここに入りたいかしら」
 一気に言い切り、有賀君を見つめる。やっと理解が追い付いてきたのか、次第に真剣になっていく彼の顔は、しかし瞳の光だけははじめと変わらずに、いや、ますます強く輝いている。
「……そう言われても、いまいち実感がわかないのが正直なところなんですけど、でも、それでも僕はこの部活に入りたいです。なにより、あれを見せられてそのまま帰るっていうのはしたくないかなって思いますし」
 しばらく思案顔になったのち、ゆっくりと彼が言葉を紡ぐ。初めは少し不安げに、しかし最後のほうははっきりとした意志を持って、彼はそう言い切った。
「そう、それならいいわ。まあ、さっきは脅すようなことを言ったけど実はそんなに心配する必要もないの。やばいのが出る確率はいうほど高くないし、それさえなければ危険な仕事なんてまずないから。
 ……それに、こう見えても私はそっちの方の腕は有名なのよ」
 最後は冗談気味に付け加え、先輩の方にふりかえる。
「何か抜けてるとことかありましたっけ。ていうか、何が私の方が詳しい、ですか。実務的なことはともかく、こういう知識に関しては先輩の方が圧倒的じゃないですか」
 これは本当だ。のほほんとしているように見えるけれど、先輩は魔術に関する造詣と魔道書の読解、再編纂能力は群を抜いている。正直、実務一辺倒な私よりもよほどこういうことに向いている人間だ。
「あらあら、それじゃあ来年困るじゃない。私がいなくなった時、次に伝えるのはあなたの役目なのよ。だから私は心を鬼にして可愛い和美ちゃんに経験を積ませようと説明をお願いしたのよ」
 そういって先輩はコロコロと玉を転がすように笑う。口では殊勝なこといってるけど、あれは絶対嘘だ。本音は説明するのが面倒だったか、今読んでいる本が面白いからか、あるいはその両方といったところだろう。
「まあ、横で聞いている限りではそんなに抜けてるところはなかったかしらね。翔真君のことも、和美ちゃんが良いっていうなら問題ないんじゃないかしら」
 無責任な話である。しかしまあ、これで全部員の同意は得られたわけだし有賀君の入部を正式に認めても構わないでしょう。
「じゃ、入部の儀式を終わらせちゃいましょう、か」
 そういった刹那、私は傍らに立つ彼の手めがけてポーチの中に入れていたナイフを振った。


 痛っ
 いきなり刃物を振るわれたことに驚き、とっさに指を曲げた瞬間、手の甲に焼けるような痛みが走る。何が起こったのか理解できない。反射的に目をやると、武嶋先輩が少し驚いた表情でナイフの刃と僕の手を見つめている。
「ちょっと、なんでそんなに反応早いのよ。切りすぎちゃったじゃないの」
 こっちが口を開く前に怒られた。理不尽だ、怒りたいのはこっちのほうだよ。いきなり切られて、こんなに痛みも……あれ、さっきより痛みがない。見れば、切られた傷に比べ出血が少なく、奥の方はすでにふさがり始めている。明らかに普通の傷じゃない。
「はいはい、いきなりのことでごめんね。でもこれどうしても必要なのよ。ちゃんと説明するから十秒待ってね」
 言いつつ、先輩はナイフについた血を渡された入部届に垂らす。そして何事かを呟くと、いきなり紙に刻印が刻まれる。浮かび上がる文字の意味は分からないけれど、恐らくサインのようなものなのだろう。
「ほんとごめん。皮一枚くらいのつもりだったんだけど。君の反応が早いから目算を誤ったわ。それじゃちょっと手を貸して」
 謝りつつ、武嶋先輩が僕の手を取り、傷の部分を包み込むように両手で挟んだ。こんな時だというのに、頬がさっと朱に染まるのがわかる。そんな僕のことはお構いなしで武嶋先輩はブツブツと呪文を呟く。数秒もせずに手の甲から熱が引くように痛みが消え去り、先輩が手を離す。
「もう大丈夫。このナイフ、血を採るために最低限の治療術しか仕込んでないからさ」
 そう言って見せてくれた小ぶりのナイフには確かに細かい文字が掘りこまれていた。呟くだけでなく文字そのものにも力があるっていうことかな。
「驚かせちゃってごめんなさいね。ほんとは入部志望者なんだから同意の上でもらえばいいのに、昔からうちはこういうところだってことを示すんだっていって聞かないのよ。でも、これさえ終わればもうこういうことはないから安心してね」
 いまだに警戒を解けずにいる僕を柔らかく包み込むようにすまなさそうに風祭先輩が声をかけてくる。
「え、いや、そりゃ驚きましたけど、もう痛みも消えましたし、跡も残ってませんから、必要なことだったならいいです」
そう言うと、風祭先輩はいつもの柔和な笑みに戻り、仕切りなおすように宣言した。
「それじゃあ、ここに有賀翔真君を平成二五年度、三六代目の第二文芸部員とすることを認証します。っと、これからよろしくね、有賀君」
 そう言って、席を立つとこちらに向かって手を差し出してくる。
「はい、これからよろしくお願いします」
 そう返し、その手を握る。先輩の印象にたがわず柔らかなその手に触れただけで先ほどの驚きも憤りもすっと消えてしまう気がする。
「ほらほら、いくら先輩が綺麗だからって鼻の下伸ばさないの。まあ、さっきのは唐突過ぎたけど、もしやばいことになったらあれくらいじゃ済まないから、覚悟だけはいつもしておいてね。非日常(こっちがわ)に来るってことは、そう言うことだから」
 軽く脅すようなことを言いながら、ナイフをしまって武嶋先輩も手を差し出してくる。
「は、はい。今ので少し実感がわきました。でも、やめませんからね」
 風祭先輩と違って、しっかりした芯を感じる武嶋先輩の手を握りつつ、精一杯強がってみる。本音を言うと既にちょっと怖いけど、先輩方の手前、虚勢を張ってしまうのも致し方ないことだ。でも武嶋先輩はそれを見透かすようにふっと笑う。
「今それだけ言えるなら十分。期待してるわよ、新人君。じゃあ先輩、私は今日バスケの方にも顔出さなきゃいけないので、彼への教育はお願いしますね」
 それだけ言うと、武嶋先輩はそそくさと荷物をまとめると、足取りも軽やかに飛び出して行った。
「はいはぁい。もう、バスケットの方も正式に入部しちゃえばいいのに」
 その後ろ姿を見つつ、風祭先輩が呟く。
「あれ、入部してないんですか。じゃあなんでまた」
 入部してないのに部活に顔を出すなんて、よくわからないけど魔術的な意図でもあるんだろうか。
「あぁ、あなたが考えてるほどの理由はないのよ。和美ちゃんが単純にバスケットが好きなだけ。あの子ったら、兼部したっていいのに魔術の方で名前知られちゃうとみんなにいらない疑いがかかるからって聞かないの。もう律儀というか、用心深いというか。それで、助っ人として練習にだけ顔出してるのよ」
 なるほど。先輩も先輩で色々と大変そうだ。なんとなく今回で恐い認識がついてしまったけど、武嶋先輩も高校生なんだよな……。
「それじゃ、さっそく魔法の授業を始めましょうか」
 そう言って、風祭先輩はどこから取り出したのかチョークと指示棒を取りだして黒板に図形を描きだす。
「じゃあ、そうねぇ。とりあえず、基礎の基礎だけ今日やっちゃうわ。毎日来れるなら、今週末には簡単な魔術くらいできるようにしちゃいましょ」
 慌ててペンとノートを取り出して黒板を写す俺を見つつ、先輩がそう告げる。先輩の表情を見るに、どうやら、なかなかハードなスケジュールが組まれているようだ。何にせよ、根を上げる気はない。これからの高校生活、絶対楽しくなる予感が既にし始めてるから。
 こうして、非日常への扉を開けた僕の高校生活はスタートした。