結局あれからの一夜は、近所のスラム街の一角を借りて過ごすことになった。所持金として貰ったお金を節約したいこともあったし、また寝床探しに歩き回るのも面倒だったので、スラムの住人たちに頼んで快く許可をもらったのである。
 スラムにはエレナルド人の姿もちらほら見受けられるが、やはり大多数がテムル人であった。多くはかつて草原から移住してきた者らしいが、迫害によりエレナルドの都市を追われ、このような日陰に隠れ住んでいるのだという。
 当然ながら、水も土地も質が良くないし、衛生面でも治安面でも安全だと言えない場所である。そんな過酷な環境に加えて、彼らは生きる手段であるヴェーダも使うことができないのだから、カイは彼らを思っていたたまれない気持ちになった。
「いつも、ここで水を汲んでるんですか」
 濁りきった川を橋から見下ろし、尋ねるカイ。元々黒ずんだその川は、建物の日陰に覆われていることもあってさらに黒く見えた。
「いや、流石にここでは無理だ。基本的には雨水を貯めておいて、それを近隣に配っているのだよ」
 茶けたローブの裾を引きずって案内するスラムの長老は、長い顎鬚をさすりながら答えた。
「我々にも水のヴェーダがあれば、綺麗な水が授かれるのだがね。だが、我々は精霊様を一度は見捨てた身なのだから、そう贅沢を言えまいて」
「そんな、贅沢だなんて」
 自嘲する長老に、カイは首を振った。
「だってあれは、仕方のないことだったんでしょ。昔、北の草原が大寒波に襲われた時、ヴェーダだけではついに食糧難を凌ぎ切れなくなって、近隣のエレナルド人に助けを求めた……。生き延びるためなら、それぐらいするのは当然ですよ」
「そう、単純に生きるだけなら、それでよかった。だが草原の土地を荒らしつつあったエレナルド人に助けを求めたことを、精霊様と神はお許しにならなかった」
 塗装が剥げ落ちて赤レンガがむき出しになった家々。その間を流れる細い砂利道に、足音だけが静かに響く。
「当然の仕打ちといえばそうかもしれぬ。我らの祖先は生き延びた代わりに、エレナルド人と共に草原を切り開いてしまったのだから。草原の部族が失望し、神と精霊が怒り、草原を追放されてしまったことも、それを思えば無理はない」
「でも……」
 反論したかったが、カイの言葉には力が籠もっていなかった。
 気落ちするその様をなだめるかのように、長老はからからと笑う。
「我々を心配してくれる君の気持ちは、とてもありがたいものだ。だが、草原を追われても、都会の片隅に追い込まれても、我々に希望はある。だからそこまで憂慮してくれなくてもよい。例えば、これから出向く反乱軍集会とかだな」
「ああ、そういえばそのことなんですけど」
 顔を上げて、肝心なことをカイは尋ねた。
「なんで反乱軍なんですか? 別に戦争をやらかす集団ってわけでもないんでしょ」
 気になって仕方がない様子のカイに、長老は少し振り向いて語りかける。
「戦争をすることだけが反乱ではない。非暴力で社会に不服を訴えることも、立派な反乱活動だよ。我々は社会が阻もうとしているテムル人とエレナルド人の交流を保つことで、その潮流に反抗しているのだから」
「潮流に、反抗」
 神妙な面持ちでそれを反芻するカイ。長老は黙って深く頷いた。
「難しいことを言うよりも、直接参加すればわかるだろうて。ほれ、場所はすぐそこだ」
 長老が指し示した路地の向こうからは、何やら人々と音楽の喧騒が聞こえてくる。
 突き当たりの階段の踊り場から一望すると、そこには想像できなかった光景が広がっていた。
 スラム街の家々に囲まれた広場で、エレナルド国産の西洋楽器と、テムル人の民族楽器が協奏する音楽を背景に、二つの民族が入り混じって談笑したり、スポーツに興じたりしているのである。年齢も性別も関係なしに、好き勝手に思いのまま人々は交流する。露店やステージもそこには並び、飲み食いやパフォーマンスも自由奔放に行われている。
 長老が見守る傍ら、カイは口を開けてただその迫力に圧倒されていた。
 生まれてこの方、テムル人とエレナルド人が仲良くしているところは一度も見たことがなかったのに、この場ではそんな偏見が最初から存在していないかのようである。偽りの友好ではなく、本当に自然な形で彼らは各々の思いを発散している。
 悪く言えば全く取り留めのない祭りとでも言えそうだが、そんなことは人々の笑顔を前にすれば、どうでもいいことのように思われた。
「これが我々が目指す形の、箱庭のようなものだ。今はこの一角でしか再現できていないが、いずれこれが全土に広まればと思う」
 そう言いつつ、長老はぽんとカイの肩を叩いた。
「あんたも行ってきたらどうだね。ここでは、草原や都会の違いも関係ないのだから。あそこでステンキルファミリーもパフォーマンスをやっているようだし、あんたも自由にしなさい」
 カイは一瞬長老と顔を見合わせたが、にっと笑って「じゃあお言葉に甘えて」と言い残し、手すりを越えてひらりと踊り場から飛び降りていった。
 着地と共に砂地から砂埃が舞い起こり、それを払って長老が教えてくれたステージを探そうとする……のだが。
「だーっ、人多すぎて何が何だかわかんねーよ!」
 かっこつけて露店街のすぐ側に降りてしまったせいで、店の看板や敷居が邪魔になって向こうが見渡せない。おまけに、集まっている群衆の背も高いので、どこに何があるかもわからないのである。元々テムル人は体格がいいのだが、カイの身長がその平均以下であることがここで災いしているらしい。
 あのウェイター少年に渡された地図を頼りに、とりあえず群集の間に入って動こうとするのだが、あっちへ押しやられ、こっちへ押しやられ、最早歩いているのか歩かされているのかもわからない。
 けたたましい笑い声と熱気でやられそうになったその時、不意に誰かがカイの腕を掴んだ。
「へ?」
 間の抜けたカイの声に呼応してか、微かに人の波の向こうから「こっち」という声が聞こえた。そしてそれに続き、物凄い力でカイの体は引っ張られ始める。
 訳もわからぬまま、見知らぬ腕にぐいぐいと導かれていき、気がつけば露店街を抜けていた。
「悪い。誰だかわかんねえけど、ありがとう」
 軽く咳き込みながら、その導き手を見る。
 そこにいたのは、カイのものに似た、褐色の肌と黒い髪を持つ少女。すっと伸びた目鼻に、黒を基調とした細身の体。カイを見据えるその瞳は、凛として鋭さを併せ持っている。
 一見すればテムル人と思われる、彼女の容姿。だが、何かが違うような――。
 カイが違和感を覚えた一方、少女はその顔を見るなり、何故かやや不機嫌な声色で尋ねてきた。
「あんたが草原から来たっていうテムル人?」
「……え? ああ、そうだけど」
「じゃあ早くこっちに来て。ロルフが呼んでるから」
「ロルフ?」
「昨日うちの店リースであんたを誘ったガキのこと。時間がないから、早くしてくれる」
 そして彼女は長い髪を翻し、またさっさと歩き始めた。
「お、おい! 待ってくれって!」
 とりあえずあの少年の道案内だということはわかったが、それにしてもやけに愛想が悪い少女である。そんなに自分の第一印象が悪かっただろうか。確かに身だしなみはいつも適当だが……と的外れな推測をしつつ、カイは慌ててその後をついていく。
 行き着いたその先には、テムル人とエレナルド人の少年少女が観客として控えたステージがあった。木張りの骨組みに粗末なじゅうたんが敷かれた安っぽい造りだが、観衆を見渡すには十分な大きさである。
 その最後尾にカイと少女は立って、ステージで何事かわめいている少年の姿を見る。あの特徴的な短パン姿からすると、多分ロルフという昨日のウェイター少年であろう。
 舌打ちして、少女が毒づく。気のせいか、その鋭い目線はカイを射ているような気もするのだが……。
「もう始まってるじゃないの。人を使って呼びつけたくせに」
 とげとげしたその様子にカイが気圧されている隙に、また少女はふいとその場を立ち去ってしまった。
「あ、おい!」
 あんたは誰なんだと肝心なことを聞きたかったのだが、さっさと少女は行ってしまう。
 観衆に紛れ、黒髪をなびかせて去りゆく姿。確かに少女は、どこから見てもテムル人そっくりの外見をしていた。だが、しかしである。
「なんか、違うよな……」
 あの容貌といい、いきなりの行動といい、腑に落ちないものは多い。ただ、容姿に関しては全く検討がつかないわけではなく、ある程度の予測をカイは立てていた。
 とりあえずあの少年の関係者ならまた会うかもしれないし、その時に確認できるかもしれないと割り切り、眼前のステージに再び目を向ける。
「よし、まだまだこれは序の口だ。次はもっと派手なやつでいくからな」
 手に持ったマイク(勿論カイにマイクという呼称はわからない)でそう宣言し、観客たちは口々にそれをはやし立てる。
 傍に置かれた道具箱からロルフが取り出したのは、小さな銀の筒。また変なものが出てきたと、何気なく流そうとする。
 が、しかし、カイは途端にその顔色を変える。あのとき店内で感じ取った雷の精霊の気配と、ほぼ同じものがここにいることを察知したのだ。
 ロルフがパフォーマンスの説明をするのをよそに、カイは周囲をせわしなく見渡して様子を探る。見える範囲では、精霊を惹きつけそうなものは特に見当たらないし、雷雨が振り出しそうというわけでもない。
「ということは、やっぱりあいつが……?」
 精霊が集まりそうなスポットが無い以上、この砂地の広場で雷の精霊が集まるとなれば、誰かの意志を以て呼び出していることしかありえない。
 とにかく動向を見守って判断すべきだろうとカイは結論を下し、ほかの観客とは違う真面目腐った態度で、意識をロルフに集中させる。相手もそれに気がついたのか、にかっと白い歯を見せて笑いかけた。
 バリッという火花の音が微かに響き、雷の精霊が収束し始めたのも、それと同時であった。
「さあお前ら、よーく見ておきな。これが、ロルフ式炸裂電光花火だ!」
 振りかぶり、ロルフは手にした銀の筒を天空に向かって放り投げる。
 それは放物線を描き、青い空を舞う――と誰もが思った刹那。大木が裂けるような轟音と共に筒が弾け、雷の束が四方八方に放出される。
 虚空の閃光は蜘蛛の巣のように絡み合い、激しくうねり、まさに青天の霹靂となる。その雄大さは、天を仰ぐ者たちを圧倒した。それは、カイとて例外ではない。
「……凄いな」
 そう呟くのが、やっとだった。
 凝縮された雷の力が凄まじく、引き連れている風の精霊がかき消されそうな勢いである。ヴェーダに縁が無い観衆たちには波動が伝わらないものの、直接精霊の力の影響をじかに受けるカイにはかなりの衝撃があった。
 それが霧散してからも、しばらく広場の観衆は呆然と空を眺める。誰かがぱらぱらと手をたたき始めた拍子に、喝采へと変わった。
「すげー!」「今の、どうなってんの?」「カッコよかったー!」との声援に、頭を掻きながらロルフは答える。
「やーやー、ありがとう、ありがとう。せっかくだからタネを教えたいところだが……残念ながら企業秘密だ」
 えー、というブーイングの声も、けらけらと笑って流す。
「まあまあ、まだ他にもネタはあるんだから。そう怒るなって」
 なだめつつ、次のパフォーマンスの準備をするロルフ。次を心待ちにする観衆に、腕組みをして考え込むカイ。
 軽そうな少年に見えるが、奴はただの坊主ではない。何故雷の精霊を従え、ヴェーダが使えるのか。その真偽を問いたいと思いつつ、しばし雷の織りなす芸術をカイは鑑賞していた。
 それからパフォーマンスを一通り見届け、拍手喝采の中をくぐり抜けてカイはステージ裏に潜り込む。ステージから降り、額の汗をタオルで拭うロルフをカイは出迎えた。
「よう、お前か。俺のパフォーマンス、どうだった?」
 声を掛ける前に、ロルフが自信たっぷりにそう尋ねた。
「凄かったぞ。お前、ただの坊主かと思ってたけど、案外やるじゃないか」
 感心したという風に言ってやると、得意げにロルフは鼻の頭をこする。
「まあな。こう見えても、ただの中学生じゃないし。ああやってド派手な演出やって、みんなにヴェーダの姿を伝えてるんだよ。エレナルド人の仲間たちが言うように、武器のような怖い側面だけじゃないってさ」
「ふうん。それでわざわざあれをやってるのか」
 カイには、ロルフの言うことが一理あるように思われた。
 テムル人とエレナルド人がこれほどまでに長く対立しているのは、元々お互いの文化の無理解が原因にあるのだ。テムル人の使うヴェーダの実態を親しみやすい形で披露することは、確かに理解を促す手段としては上等だろう。
 もっとも、アピールしたところでこの程度の小集団が相手では、焼け石に水と言えなくもないのだが。
 それはさておき、カイは一番気になっている本質的なことを彼に尋ねた。
「それで、何でお前は雷のヴェーダが使えるんだ? テムル人が親戚縁者にでもいるのか、それともヴェーダを教わったのか……。どれにしても、エレナルド人がそれを使うことは普通ありえないことだ」
 カイの言うように、エレナルド人は元来精霊やヴェーダなどの自然現象の知覚に乏しい。ヴェーダを使用することは勿論、精霊の存在すらも悟ることができないから、自然にそれを発現することは不可能なのだ。だからこそ、彼らはそれに代わる科学技術を発展させ、それと相反する態度を固持するテムル人と対立している。
「それはだな――」
 答えようとしたロルフの言葉は、片付けが始まっているステージの向こうから飛んできた怒鳴り声で遮られた。
「ロルフ! お前も片付け手伝えよ!」
 ロルフの肩越しに見ると、木材の束を抱えた青年がこちらを向きながら歩いていくのがわかった。金髪に青い瞳をしており、服装こそはブラウンのベストに黒のパンツとだいぶ違うものの、どことなくこの少年と顔つきが似ているとカイは思った。
「わかってるって! 今ちょっと客が来てるから、後で行く!」
 うるさそうに手を振り、青年を見送るロルフ。彼が背を向けて路地に戻っていくところに、ロルフは親指を指して言った。
「あれ、うちの兄貴。ステージの元締めやってるから、色々うるさいんだよ」
「へえ。道理で似てると思った」
 肩をすくませ、ロルフは重い足取りで兄の後を追う。
「仕方ない、そろそろ行くとするか。こっちも聞きたいことあるし、後でうちの店に来いよ。反乱軍集会の打ち上げで盛り上がると思うからさ」
「わかった。じゃあ、また後で」
 手を振り、カイは片付けに駆り出されるロルフを見送る。
 広場に薄暮が迫り、人の数も減り始めてはいたが、まだまだ活気の残り火はそこかしこに残されていた。
 まだまだこの場に残っていたいと、そんな人々の執着心を体現するかのように。


「へえ。それで、草原からわざわざここまで出向いて来たと」
 ロルフの兄貴であるジャスティン青年は、無理難題を押しつけられたカイの根性に感心しながらそう呟き、カイはさも深刻そうに頷いて見せた。
「そういうこと。全く、なんで親父がこんな試練出したのか、未だに意味がわからねえよ」
 あまりにもカイがぶすっとした調子で言うので、あの顎にソースを付けていた女性ウェイター……ではなく、リディア・ステンキルが、「まあまあ、そう怒らずに」とジンジャーエールを勧めた。
 辺りが夕闇に沈んだ頃、レストラン・リースで盛大に催されている打ち上げに、カイはさりげなく紛れ込んでいた。昨日の昼間とは打って変わって、テムル人もエレナルド人もごった煮になって大盛況である。にわかに、同じ都市にあるあの大通りの店がテムル人を受け入れないとは、想像しがたい。
 そしてロルフ含むステンキルファミリーも、遠方からはるばるやって来たカイの存在に興味を持ったらしく、宴会が大いに盛り上がる傍ら、カウンター席を用意されたカイの話に聞き入っているのだ。
「確かに言われた通り、お前とここいら近辺のテムル人じゃ感じが違うな。ヴェーダのあるなしもそうだけど、やっぱり生活環境とか文化が違うって言うか」
「あいつらは確かに俺らの仲間であることには変わらないけど、一部の草原の連中はそれを許さない。未だに『精霊と神を欺き、ヴェーダを失った人でなし』とか言う奴もいるぐらいだからな」
 視線をジャスティンから、背後のテムル人の集団へと移す。昨日出会った熊男と、今朝案内してくれたスラムの長老もそこに加わっているのがわかった。
「ひどいなあ。都会のエレナルド人だけじゃなくて、同じテムル人までそんな扱いをするなんて……。みんな、元は同じ人間なのに」
 憤慨するリディアをよそに、あの黒髪の少女――確かエーミーという名で紹介されたと、カイは記憶している――は冷たく言い放った。
「人間だからこそ、そういう風に傲慢になれるんじゃないの。テムル人もエレナルド人も、例外なく」
「そう怒るなよ。うちの反乱軍集会に出てくれる奴がいるみたいに、テムル人やエレナルド人みんなが敵、ってわけじゃあないんだから。だからこいつみたいに、人当たりのいい人間もいるんだろ」
 ジャスティンはカイを指さしつつエーミーをなだめるが、彼女はふんと鼻を鳴らすだけである。
 テムル人もエレナルド人も憎いと言わんばかりの、彼女の態度。それと呼応して、カイには思い出すものがあった。
「あのさあ、この機会に聞くのも変かもしれないけど」
 念のため前置きをしてから、不機嫌なその瞳をカイは見据える。刺すような威圧を感じないこともなかったが、どうしても事実を知っておきたかったので、それを振り切って口を開く。
「お前も俺と同じテムル人なのか? それとも――ハーフの人間なのか?」
 カイと同じ色を持つその瞳が、一瞬ぴくりと動いたような気がした。
 ステンキル兄弟たちは顔を見合わせ、「どうする?」と目配せする。当の本人はというと、それからは少しも顔色を変えずにだんまりである。
「喋ってもいいんじゃないの。こいつは敵でもなんでもないし、むしろ俺らに好意的みたいだからさ」
 後頭部で腕を組むロルフの促しを受けても、しばらくエーミーは硬直したままだった。頑なな雰囲気を漂わせる彼女を前にして、にわかにカイの体にも緊張が走る。が、少ししてから、彼女ははっきりとした声で答えた。
「確かに、私はハーフの人間よ。母方が草原出身のテムル人で、父方は都市育ちのエレナルド人だから。六歳までは家族で暮らしてたけど、両親が死んでからはずっとスラム暮らしだった」
「両親と死別……。そうか、だからこのステンキル家の居候に」
 難しい顔でカイは呟くが、エーミーは頷きもしない。先程彼女がステンキル家の居候と紹介された時から、その理由が気になっていたのだ。
 テムル人とエレナルド人のハーフは双方の民族から同胞として扱われず、結局同じ排斥される身である都会のテムル人たちと同居することになると、カイも噂では耳にすることがあった。数年前の国内紛争があってからは一層排斥の傾向が強まり、ハーフの人間の居場所はますます無くなっているのだという。
 もしかすると、エーミーも紛争による孤児なのかもしれない。それを思うと、カイは内心を激しく揺さぶられるような気持ちになる。
 自分がその一端を担っていた可能性は大いにあり得るのだから。
 その憂慮が表に出たのか、エーミーは「別に気に留めなくていいから」と制した。
「この家に拾われて、スラムを出たのは数年前。でも仲間を放っておくわけにはいかなかったから、それ以来ずっと援助を続けてるのよ」
 どっちの民族も、ハーフと都会のテムル人を助けようという素振りすら見せないから、とエーミーは痛烈に皮肉った。
 本来ならそれに対して言い訳の一つでも出すのだろうが、カイにはとてもそんな真似はできずに、ただただその批判を受け止めている。
 空気が沈鬱になりかけたところで、ジャスティンが咳払いをして話題を変えた。
「まあそういうことだな。スラム街での反乱軍活動の主な目的、っていうのは。エーミーを居候として迎えてから、うちの家でテムル人問題に関心が向いてさ。彼らへの援助活動でもやろうぜ、って言い出したのがそもそものきっかけだ」
「ふうん。それで、あの集会を?」
「ああ。最初はテムル人支援だけが目的だったんだけど、エレナルド人でも理解してくれる仲間が必要って流れになってな。それでああやってヴェーダのパフォーマンスをやったり、交流会の場を設けることで、近隣の住民の和解を勧めているんだよ。おかげで、だいぶみんなうち解けてきた」
 少し満足げに語るジャスティン。カイはひたすら感心するだけだったが、本気でこの連中はただ者ではないと思っていた。ただでさえエレナルド人とテムル人の亀裂が深まるこの時勢なのに、その流れに堂々と反抗しようとする勇気が偉大だと感じたのである。
 カイが内心で褒め称えていると、いきなりロルフがけらけらと笑い始めた。
「そうそう。なんで集会の名前が反乱軍集会になったのか、お前にまだ言ってなかったよな。あれ、ただのノリで決めただけだから」
「はあ?」
 気になっていたもう一つの用件の答えがあまりにも適当すぎて、カイは自分の耳を疑った。ノリで反乱軍とか名乗るのは、一体どういうつもりなのか。
「交流集会の名前をどうするか、うちでだいぶ揉めたんだよ。そこで俺が『俺たちこそ、民族排斥の時代の流れに反抗する集団じゃねえの』ってノリで言ったら、それがそのまんま名前として採用されちゃったんだよな。ほんと、うちの家のネーミングセンスってどうかしてる」
「なんだそりゃ……。反乱軍とかいうから、どんな大層な理由があるのかと思ってたけど」
 いささかカイは呆れ顔である。とりあえず、軍隊と百パーセント関係がないことは証明されたらしい。
 すると今度は、リディアが頬を膨らませて反論し始める。どうやら反乱軍という呼称をどうかと思っていたのは、カイだけではないらしい。
「だって、あれはみんなが悪いんでしょ! 人に名前考えろって言ったのに、みんな揃って私の考えた愛称をボツにしたんだから」
「だからってハートマークとか普通入れるか?」
 そっちの方がおかしいだろと、至極まっとうな感想を述べるジャスティン。対して、やや軸のずれた意見を言うリディア。
「そのほうがカワイイじゃない。そんなに固い感じもしないし、気楽にできそうでいいなーって思ったから」
「だよねー」とリディアは振り返るが、残念ながらそう思っているのは彼女だけで、残る二人もジャスティンに賛同するようである。
「むしろフリー過ぎて変な方向に走りそうだけど。大体、名前だけだと誤解されそう」
「それは言えてるよな。風俗店とかに勘違いされたら、オヤジが大量に寄ってきそうだ」
 追い討ちとばかりに、冷静なエーミーの分析とにたにたしながらのロルフのジョーク。リディアは完全に機嫌を損ねて、そっぽを向いてしまった。
 傍から見れば漫才のようなやり取りに、なんとなくカイは肩の力が抜けた気がして、思わず吹き出してしまう。そういえば、こっちに来てからこんなにげらげら笑ったことがあっただろうかと、思いながら。
 それにつられて、周りの三人も、すねていたリディアも、いつの間にか自然と笑い出す。
「な、うちの連中も馬鹿ばっかりだろ。こういう風に気楽にやってるほうが、色々仲良くなれるもんだ」
 そう言いつつ、ジャスティンはようやく笑いの収まったカイの肩を叩く。
「よかったらお前もうちの活動に参加したらどうだ。草原から来た仲間ってのは初めてだから、人材としては重宝するぞ。お前にしても、都会の同胞を知る機会にもなるだろ」
 思わぬ呼びかけに、カイは目を丸くした。確かに、都会のテムル人の実態を知るには思いもかけぬチャンスではある。
「いいのか? 俺、見ず知らずの人間なのに」
「そんなの気にしないって。それに丁度今、うちの店のほうで住み込みのバイトを募集中なんだ。親父が食と住を提供するし、気が向いたらお袋も衣類を出してくれると思うけど」
「けどさあ、俺がエレナル――」
「あっと、それはストップ!」
 カイの言葉を遮り、赤髪を揺らしてリディアは微笑む。
「うちには、エレナルド人とかテムル人がどうとか関係ないんだから。だからこの子もステンキル家の一員だし、お客さんとしてみんなが来られるんだよ」
 リディアはエーミーの頭を撫でるが、彼女はうっとおしそうにその手を払った。だが、意外にもエーミーがそこまで機嫌を悪くしたようには見えない。
「あと、パフォーマーとサポーター募集中ってのもあるよな。俺ら四人だけだと、ヴェーダで芸するにしても、生活援助に回るにしても、シフトがきついんだよ。だから穴埋めとしてお前にやってほしいんだけど」
「穴埋めって言われてもなあ。俺の風のヴェーダは実用志向だから生活面では問題ないけど、お前がやってた雷のヴェーダみたいに派手なもんはないぞ」
「いいの、いいの。みんなパフォーマンスのほうは、科学の実験教室みたいな感じで見てるんだから。ヴェーダがどうかなんて気にしてないし、面白けりゃ結果オーライだ」
 どうだどうだとしつこくロルフが勧めてくるので、カイはわかったよと降参して頷いた。
 それを見るなり、ぱっと明るくなるステンキルファミリーたち。
「やったー! 仲間一人手に入れたぞー!」
「手に入れたぞって、俺は物か!」
 舞い上がるリディアにすかさずツッコミ。久しく途絶えていたが、その切れ味は健在らしい。しかし、さらに痛烈な一打をエーミーが浴びせる。
「物に決まってるじゃない。ただでさえ人手不足なんだから、採用が決まったら即戦力よ」
「うげ……。じゃあ、何やらせるんだよ」
 明らかに雑用くさい仕事を想像するカイに、ジャスティンが丁寧に補足をしてくれる。
「とりあえず、明日出す食材が足りないから、お前に買ってきてもらうか。ああ、一応お袋はついていくけど、荷物持ちはお前になると思うぞ」
「要するにパシリじゃねーか!」
 もしや最初からそれが目的だったかとカイは叫びたかったが、元ネタがさっぱりわからないロルフの物真似でその主張は遮られた。
「ヒヒヒ、騙されて入信したお前が悪いんだよ! さあ、早速だがこの皿を持っていけ」
「くっそー……。なんか丸め込まれた気がしてきたぞ」
 毒づくが、今まで波うち続けていたカイの気分は、不思議と穏やかだった。
 皿をカウンターの奥に持っていく途中で、ふと背後のドンチャン騒ぎを振り返る。今日の集会がまだまだ続いているかのように、誰もが何の境界もなく好き勝手に遊びまわっている。
 そういえば、俺も草原の仲間とつるんでる時はあんな感じだったかと思い、カイはカウンターに引っ込んでいく。
 窓の外では、ネオンライトに照らされた夜の街を、涼しげな一陣の風が撫でていた。

前のページへ  目次へ  次のページへ