暗い廊下を、円形の光を頼りに藍香と京極と河童は歩いていた。
水神の攻撃から避難する為に回廊ではなく屋内の廊下を歩いているので、光の周縁以外は暗闇に近い。その暗闇に負けず劣らずの暗い表情で、藍香は機械的に歩を進めていた。
「大丈夫です。黄三郎君と紫四郎君も葉矢君達の所へ行ったみたいですし、何よりあの子達は君が思っている以上に強いですよ」
藍香の不安を見透かしてか、優しい口調で京極は言った。
「あ、はい……」
二人は大丈夫。本当にそうだったら良いのだが……。
「元気出しいや、自分。心配ばっかしとったら、いつかワシみたいな頭になってまうで」
ポンポン、と励ます様に河童は自分の頭を叩いて見せるが、河童の声が聞こえない藍香の表情は無論、変わらない。溜息をついた河童の皿が、光を反射する。
「あれれぇ? こんな所まで来ちゃったの?」
懐中電灯を手に、李斗が反対側からやって来た。
「不可抗力ですよ。よそのお宅な上に停電しているんですから」
肩をすくめる京極越しに、藍香は李斗が小脇に抱えている玩具のビーム銃の様なものに気付いた。宇宙人が持ってそうなアレだ。
「……久重君、それ……?」
勇気を振り絞り、おずおずと李斗に尋ねる。
「ああっ。やっぱり気になるよねぇっ。ドラフト一位だよねぇっ」
藍香が引いているにも拘らず、喜々として李斗は答える。
「これはねぇ、霊的エネルギー砲の小型版、通称霊的エネルギー銃だよぉっ。しかも充電式っ。まぁ、難点としてはまだ一回分しか充電できないってコトだけど、不意打ちには向いてるし、力の弱い見習いだって他の人に充電してもらえば使えるしぃっ。世紀の大発明だと思わないぃっ?」
しかし藍香の耳には、李斗の言葉の最後の方は入っていなかった。藍香はじっと霊的エネルギー銃に視線を注ぐ。
充電式。
力の弱い見習いだって使える。
じゃあ、霊感を持たない私にも?
数ヶ月前に誓った事が、再び胸に蘇る。
自分に出来る事をする。霊感を持っているかどうかなんて関係ない。
そう思った瞬間に、腹は据わった。
「久重君、使わないんだったらその銃貸して」
自分でも驚いた事に、声に震えは無かった。私どうなっちゃたんだろう、と思う位に頭は冴え、そして勢いが止まらなかった。
「私も戦う。だから、その銃が必要なの」
突然の藍香の言葉と態度の変わり様に戸惑う李斗に、語気を強めて藍香は言った。
「……へ? 町田さん、どうしチャイナ?」
放心状態の李斗を尻目に、京極は苦笑しながら肩をすくめる。
「仕方ないですね。こんな風になった女の子が止まる訳ないですよ。李斗君、貸してあげたらどうです?」
「京極さん、心当たりあるんですかぁ?」
「はい。私の彼女がそうですので」
「彼女居たんですかぁっ!?」
驚いた声を上げながら、李斗は藍香に霊的エネルギー銃を渡す。
「あ、ここに来る途中に指令をもらったんだっけ。当主さんと水神との協議の結果、河童君は霊界に帰っていいことになったんだって」
その言葉に、河童はパッと顔を輝かせる。
「で、大人がみーんな結界管理で手一杯だぁっていうから、ボクが霊界への『門』を作ることになったんだけどぉ、その『門』を作る最適ポイントって裏庭にあるらしいんだよね。だからボクも裏庭に行くよ。どの道、町田さんはここから裏庭への道分からないでしょ? 京極さん、済みませんけど、隣の座敷で待ってて頂けますぅ? しばらくしたら電力も回復するでしょうしぃ」
しかし京極は肩をすくめる。
「その申し出はありがたいですが、私も京都市の職員の端くれですから、市民が危険な目に遭っているのを見過ごす訳にはいきません。藍香さんの意志が固いというのなら、私も助太刀しますよ」
「……ボクらは市民じゃないんですかぁ?」
格好良く言った京極に、李斗はボソリと突っ込む。
「市民ですが、それがお仕事でしょう? さ、行きますよ」
勝手にそう仕切った京極だが、道が分からないので李斗の後をついて行くだけである。
最後尾に着いた藍香は、霊的エネルギー銃を胸に押し当てる。
私が助けるんだ、彼を。
一方裏庭。龍兵衛への攻撃は許可されたものの、双子は苦戦していた。やはり、装束を身につけていない事がまずいようだ。
双子の装束の上着には浮遊の術がかけられており、空中浮遊や、ゆっくりとではあるが空中移動を可能にしている。また、装束の靴には跳躍の術がかけられており、跳力を飛躍的に上昇させている。普段はこれらの装束の特性を用いて空中戦や高速移動を行えているのだが、今日はそれが出来ない。しかも、今日の相手は普段退治している物の怪より数段上だ。結果として苦戦とならざるを得ないのである。
「セイっ」
「はいっ」
真矢の呼びかけに応え、青次郎は自身の体をゴムの様に軟らかくした状態で真矢の踏み台となり、反動で真矢を高みに押しやる。その先には既に黄三郎が控えており、真矢が望みの方向へ行けるよう、体の角度を調節していた。本来なら達磨落しーズは体を硬くさせた状態で踏み台になるのだが、跳躍の術が使えない今はこうする他になかったのである。
不安定さと違和感を覚えながら、真矢は水神に向かって矢を放つ。退魔の力を込められた矢は、薄い光を纏いながら空を切り、水神に向かって突き進むが、水神の周りに張られた結界により力を奪われ、ただの矢として水神を攻撃する。無論、そんなものが水神を傷付けられる訳も無く、軽く払い除けられてしまう。
それを見取って、真矢は歯噛みをした。
「これじゃ、攻撃したって意味が無いじゃないっ!!」
「しかし、攻撃を防いでいる間はあちらも攻撃を仕掛けられないようです。御二人に課せられた役割は河童を霊界に帰すまでの時間稼ぎです故、ご辛抱を」
真矢の下で、黄三郎が冷静に言う。
「けど……っ」
真矢は焦りを隠せない表情で新たな矢を番える。
「今、二人がかりで攻撃してても完全には防ぎきれてないのよっ」
双子も交互に絶え間なく攻撃しようとしているが、攻撃は足止め程度にも完全にはならず、劣勢の持久戦は双子の体力と力と集中力を確実に奪っていく。
そして話す事にも体力は使われ、集中力を奪う。
ギュィバシィッッ!!
真矢が黄三郎との会話に気を取られた隙を突いて、槍状になった水流が真矢に襲い掛かる。
「くっ」
何とか青次郎が盾となって真矢を守るが、それで真矢からの攻撃が途絶えてしまう。
ジュギュッィッッ!! ビュシュッッ!! ドュュズュッ!!
そのせいで水神からの攻撃は激しさを増す。
「若ぁっ! 物陰に行きやしょうっ」
「ダメだっ! 隠れたってやられるのは時間の問題だし、攻撃に焦って出た時に狙い撃ちにされちまうっ」
素早くかわし続けなければならない為、こちらからの攻撃はしにくくなる。悪化する一途の状況に苛立ちを覚える葉矢。
「真矢っ! 埒が明かねぇっ、シンクロすっぞ! そんで倒すっ!」
「この状況でどうやって!?」
悲鳴に近い声で真矢は返す。暢気に目と目を合わしている暇など、今はない。
「何とかして、だよ!」
「無茶言わないでっ。助けが来るとかでこの状況が変わるのならともかく、このままじゃ無理よっ」
そう怒鳴り返した真矢の横を、一本の小枝が高速で通り過ぎる。
「え?」
真矢は驚きながらも、小枝の来た方向へと目をやる。そこには地面に落ちていた小枝を指の間に挟み、水神を狙っている京極が居た。
「何、チョーク投げの応用ですよ。私は応用力のある人間ですから、こんなの楽勝です」
水神の攻撃を避けつつ、水神に攻撃を仕掛けつつこう言ってのけるのだから、実に器用なものである。良く見ると、その小枝にはきっちり霊力が込められている。
「京極さん……?」
葉矢の疑問の視線に、京極は微笑んで答える。
「ああ、門前の小僧何とやら、ですよ」
「……はぁ」
葉矢が納得のいかない、といった表情でそう呟いている内に、カシラが庭の片隅に放置されていたペンキ入りのバケツを口に加えながら水神へと向かい、白いペンキを水神へとぶちまける。
水神の結界は霊的な力は防げるが、物理的な力は防げない。体の一部を白に染められた水神が怒って反撃し、カシラは慌てて避ける。
「カシラっ、京極さんっ。何してっ!?」
「援軍ですよ。河童君を返す為の『門』を裏庭で作る運びとなりましたので、些少ながらお手伝いを、と思いましてね」
「申し訳ありませぬ、葉矢さま。藍香殿に藍香殿でも水神の位置が分かるよう、ペンキを付けて欲しい、と頼まれまして」
「――っ!?」
カシラの言葉を耳にした瞬間、葉矢は急いで辺りを見渡す。何度か李斗と河童の姿が目に入ったが、知覚はしなかった。やがてその目が、庭の片隅で止まる。玩具の銃の様なものを構えた藍香が、屋根近くにまで迫った水神に震える銃口を向けていた。
「藍さっ……!?」
「水神に気取られないように。藍香さんの役割は水神の不意を打つ事ですし、君だって藍香さんを水神の攻撃対象にしたくはないでしょう?」
葉矢の驚きの声を、京極の冷静な声が押し留める。
戦いの終着点が見えた上に援軍が来た。この事実は葉矢を安堵させてもいいものだが、葉矢に訪れたのは恐慌だけだった。
藍香が戦いの場に来てしまった。
安全な所へ逃がした筈なのに、自ら危険な所へ来てしまった。
「な……、何で連れて来たんですかっ!? どうして止めてくれなかったんですかっ!?」
葉矢は思わず京極に詰め寄り、返答を得る前に藍香の元へ行こうとする。しかし、そんな葉矢を京極が引き止めた。
「彼女は自分の意志でここに来たのですよ。その覚悟を汲んであげても良いではないですか。それから、今から君が彼女を説得する、というのは得策ではありませんよ。これ程の覚悟を決めた彼女を説得する事はいくら君とはいえ困難でしょうし、第一、説得に当たっている時間はどうするのです? 妹さんと、戦いに不慣れな私にその場を任せる、というのですか。そんな事をしてしまえば一体どうなってしまうのか、君自身が一番良く分かっている筈でしょう?」
葉矢は強く唇を噛む。そう、分かっている。だからこそ苛立つ。
「っ、分かりましたよっ」
キレた口調で葉矢はそう言い、京極の手を振り払い今まで水神からの攻撃の盾になってくれていた赤太郎の上に乗り直す。
要は、藍香に害が及ぶ前に戦いを終わらせれば良いのだ。
「真矢っ」
一人必死に攻撃を続けている妹に呼びかける。
「何っ? さっさと攻撃に戻ってよっ!!」
葉矢の方を見る余裕すらない真矢は、声だけで返す。
「京極さんも攻撃に参加するみたいだから、シンクロすっぞ」
「どうしてよっ!? もうすぐ河童帰るんでしょ!? 倒す必要なんてないじゃないっ。確実に時間稼げばいいのよ!!」
水神が李斗と河童に気付き、李斗を攻撃しようとする。
ビュヒュンッ
真矢は急いで矢を解き放つ。
しかし、龍兵衛は攻撃を防ごうとしなかった。攻撃を受けてでも、李斗への攻撃を強行したのだ。それを見て、顔色を変える真矢。
「サブっ」
「ナイスミデュゥゥゥゥッ!」
黄三郎は急いで李斗達と水神との間に立ち塞がり、李斗達を守る。
「守る気が無いのっ!?」
攻撃によりあちらの攻撃を未然に防ぐ事が出来ないのならば、従来通りの攻撃は意味を成さなくなる。
「タラタラしてたら河童が帰っちまうって気付いたんじゃねぇのっ? けど、チャンスだぞ。今でかい攻撃を当てれば、しばらく行動不能にさせることくらいできるっ」
そして、その龍兵衛が行動不能になっている間に河童を帰す事が出来れば、藍香が危険に晒される事はなくなるのだ。
「そりゃそうだけど……」
そう呟きながらも、真矢は矢を放ち続ける。龍兵衛への直接攻撃は無駄だと分かったが、水神の攻撃に矢を当てれば、その威力は格段に落ち、達磨落しーズが防ぎやすくなるからだ。地上の京極もそれに気付き、水流へと小枝を放つ。
「防ぐのを京極さんだけに任せるのは無理だよっ!」
真矢と京極が邪魔者だと認識した水神は、二人にも攻撃の矛先を向け始める。
「ほらっ、このままじゃどの道ダメになっちまうっ。グチャグチャ言ってねぇで、とっととシンクロすっぞっ」
言うなり真矢の肩を掴み、自分はシンクロ待機状態になる。
説得が無駄だと悟った真矢は、仕方なく目を合わせる。
そして瞳は邂逅し、その瞬間、二人の魂はシンクロを起こす。
自我の境界が、波を受けた砂の城の様に消え去っていく。
糸を一本一本繋いでいく様に、相手と感覚が繋がっていく。
相手の呼吸までもが分かるようになり始めた瞬間、葉矢は真矢の肩越しにこちらに突進してくる水流を見た。
それから、世界はスローモーションになる。
繋がった感覚は、真矢にも背後から迫り来るものの存在を伝える。
それから真矢は回避行動に入るが、その動きは、葉矢にはあまりにも遅々として見えた。
攻撃線上に僅かに取り残された真矢の脇腹を、水流が深く薙いだ。
葉矢は何かを叫ぼうとして口を大きく開ける。
その大きく開けられた口に、生暖かい雫が飛び込む。
それが鉄錆の味をしているのに気付くのと、目の前で舞う赤いしぶき越しに、少し驚いた様な表情を貼り付けた自分の顔が、小さく息を呑み、血を吐くのを知覚したのと、どちらが早かっただろうか。
スローモーションになり、引き延ばされた時間の中でも、一体何が起こったのか葉矢には理解出来なかった。
「真矢ぁぁぁぁぁぁっ!!」
今まで気付かなかった自分の叫びが耳を打ち、ようやく世界は通常の速度に戻った。
真矢の魂が入った自分の体を、反射的に葉矢は抱き止める。痛みで気を失ったのか、真矢の瞳は堅く閉じられまま開かない。
「っ、お嬢様ぁぁぁぁっ!!」
自分の上で起こった事態に気付き、一拍遅れて青次郎が叫ぶ。
(……ウソだろ……?)
胸の中でそう呟く。震える腕で真矢を抱え直すと、心音が伝わってくる。しかしそれは、酷く頼りなく思えた。
葉矢と真矢を乗せた赤太郎が最低限の動きで攻撃を避けながらそっと降りてくれていたが、今の葉矢はそれにも気付かない。
繋がった感覚は確実に真矢の感じる痛みと、それ以上に魂の衰弱を伝えていた。
今の真矢の魂が入っている体は葉矢のもの。だが、今葉矢の体が死ねば、死ぬのは真矢の魂なのだ。
(オレのせいだ……)
真矢の自我が弱まっていくにつれて、葉矢の思考は自由になっていった。
(オレが焦らなければ、オレが見栄を張ろうとしなければ……)
地面に出来た水溜りを覗き込む。頼りない月光の元でも、自分の瞳がまだもやがかかった状態になっている事は確認出来た。シンクロ状態は続いているのだ。
葉矢はギュッと真矢を抱え直す。
やるべき事は、決まっていた。
「セキ、もう一度上に行く。水神に近くて、少し上」
「若……?」
ショックのあまりおかしくなってしまったのだろうかと訝しむ赤太郎の視線には応えず、今度はこちらに駆け寄って来る藍香の方を向く。
「葉矢君……。真矢ちゃんはぁ……?」
泣きながら藍香は問う。葉矢は静かに答えた。
「助けられる。だから、手を貸して」
「……どうやって助けるの……?」
まだ震えてはいたが、藍香はしっかりとした声で問う。やはり芯は強い人だ、と葉矢は改めて感心する。
「それ、霊的エネルギー砲をちっさくしたヤツ?」
藍香が握り締めている銃を見ながら葉矢は問う。屋敷に来るまで、藍香はそんなものを持っていなかった。だからそうなのだろうと思ったのだが、案の定藍香は首を縦に振る。
「オレが合図したらそれを水神に向けて撃って欲しいんだ」
「……いいけど、何で……?」
不吉な予感を覚えたのか、藍香は不安気に問う。
「河童を帰したら水神が怒って攻撃してくるかもしれない。だから、脅して下がらせる。……それから、真矢とオレの魂を元の体に戻す。そうすれば、真矢は助かる」
藍香は小さく息を呑む。つまり、葉矢が真矢の身代わりになる、という事だ。
「そんなことしたら、今度は葉矢君が危なくなっちゃうよ?」
「あれは元々オレの体だから、オレの魂が入っていた方が安定するかもしれない。……大丈夫さ。李斗が前に回復装置作ってたから、それを使えばあっという間に元気全開になるよ。それまでの時間が稼げればいいだけ」
不安な表情が抜けきらない藍香を安心させる様に、葉矢は付け加えた。そして上を向く。
「いきなりで悪いけど、頼むな、藍さん。他の人たちは今手が空いていないから」
京極は水神の攻撃の威力を削ぐのに必死で、李斗は『門』を開くので手一杯だ。達磨落しーズは、引き金を引くだなんて器用な事は出来ない。
「それから、撃つのは玄関近くで、撃ったらすぐに建物の中に入って。そしたら結界の中に入ることができるから。じゃあ、よろしく」
藍香はまだ納得がいかない、といった表情だったが、頷く。これは一刻を争う事態で、自分がごねて余計な時間を取らせる訳にはいかない、というのは分かっていたからだ。
「分かったから、だから、絶対に生きてね……」
涙声を混じらせながら、藍香はそれだけを言い、頷き天へと上って行く葉矢を見送った。
赤太郎は指示通り、真矢を抱えた葉矢を水神よりも少し高い位置まで連れて行く。
その様子を李斗は目の端で捉えていた。が、勤めて意識しないようにする。先程真矢が大怪我を負った事にも気付いているが、その事も頭から追い出そうとする。
自分のすべき事は分かっている。そして、この事態になってもそれは揺るがない。自分が河童を霊界に帰さない限りには、水神の攻撃も止まないのだ。攻撃が止まなければ、真矢に治療を施す事さえ出来ない。だから、ただすべき事をする。
「あの姉ちゃん、大丈夫なんか?」
空を見上げながら、河童は不安そうに問う。
「……それはこれから決まることだよ。さ、『門』が開いた。お別れがこんなにあっけないのは残念だけど、その真矢の為に早く帰って欲しい」
河童はコクリ、と頷く。帰れて嬉しい筈だが、事態の重さを分かっているのかその様子は出さない。
「親切にありがとな。あと、迷惑掛けてもてゴメン。他の人にもそう伝えて」
それだけ伝えると、『門』の光の中へ消えていった。それを見届けると、李斗は耐え切れないように双子達の方へ駆けて行く。
そしてそれとほぼ同時に、葉矢は叫ぶ。
「撃てぇぇぇっ!!」
藍香は滲む視界で闇に浮かぶ白を捕らえ、引き金を引く。
銃口から光が搾り出され、水神へと向かう。
河童が帰ってしまった事を悟った龍兵衛は怒りに駆られ、八つ当たりの攻撃を仕掛けようとするが、自らに迫り来る強力なエネルギー塊の存在に気付き、思い直す。目標を失った今、リスクを負ってまでここでごねている理由はない。諦めて避け、帰る事にした。
そして葉矢は、その様子を見て取っていたが、水神には何もしようとせず、ただ光の奔流へ身を投げる。
三度目だから、今度は落ち着いていた。
眩しさに目を閉じ、開いた先には真っ白い世界が広がっていた。見下ろし、真矢の魂をちゃんと抱えている事を確認して安堵の息を吐く。辺りを見渡すと、自分の体と真矢の体が転がっており、自分の体の脇腹からはやはり血が流れていた。
葉矢は真矢の魂と体をそっと重ねる。すると、それらは吸い込まれるように重なる。
それを見届けた後、自分の体へ向かう。体が傷を負った為か、体に近付くにつれて重い感覚が纏わり付いてくる。
あのまま真矢の体に居れば楽だっただろうな、と薄れ行く意識の中で考える。あの時自分を突き動かしたものは何だったのだろうか。
こんな事態を招いてしまったという責任感?
自分の半身への愛情?
愛する人に答えを返さないといけないという義務感?
それとも、自分の体に戻るんだという意地?
そのどれだろう?
それとも全て?
全てだろうな、と思いながら葉矢は密度の高い海を行く。
そして、自分の体へと還った。
「葉矢君っ!? 真矢ちゃんっ!?」
「葉矢っ! 真矢っ!」
光の中から出て来た双子を慌てて受け止めた赤太郎と青次郎は、そっと下へ降りていく。そして、藍香と李斗は二人の名を叫びながら駆け寄った。京極も、心なしか青い顔をしながら駆けつける。
「黄三郎っ! 紫四郎っ! お前達も行かぬかっ。お二方のお体をちゃんとお支えするのだっ」
「御意にっ」
「了解ですっ」
二人(?)は急いで双子の元へ飛び、双子を仰向け状態にする。
「う……」
葉矢の体が呻く。顔に血の気は無かったが、意識はあるらしい。
「葉矢君っ!?」
葉矢が魂の入れ替えに成功したと感じた藍香は、そう呼びかける。
「オ……レ……、戻っ……た?」
藍香は小さく頷く。李斗も覚悟していたようで、少し表情を強張らせた。
「……そうだよ。戻ったんだ。痛いかい?」
「よく……、分から……ない」
言いながら、藍香にぼんやりとした視線を向ける。
「藍……さん?」
「……うん、そうだよ……。……葉矢君、しっかりしてね、今、怪我治してもらうからね……」
頬をとめどなく濡らしながら、藍香は葉矢を励ます。その藍香に、葉矢は震える手を伸ばした。
「……藍さん、……告白……答え……」
「葉矢君っ? 今はいいから、そんなのいいから、死なないで、ね?」
涙に濡れた手で、藍香は葉矢の手を握る。
「……オレ……も好きだっ……て……」
「葉矢君、いいから……、本当にいいから……」
思いが通じた嬉しさよりも、愛する人を失ってしまう事への恐れの感情が混じった声で、藍香はそう訴える。
そんな藍香の表情も分からないのか、葉矢は満足気に微笑むと、静かに目を閉じる。
「葉矢君っ!?」
「大丈夫、脈はあるよ。気を失っただけだ」
悲鳴を上げる藍香に対し、葉矢の首筋に手を当てながら、李斗は言う。と、同時に真矢が呻く。
「真矢?」
李斗が呼びかけると、真矢は二、三度瞬きをし、事態を把握しようと首だけを動かして辺りを見渡す。そして、視線の先に葉矢を見付ける。
「葉っ……?」
掠れた声で叫びかけるが、すぐに事態を把握し、息を呑む。
「馬鹿でしょ……。ったく……」
搾り出す様にそれだけ言うと、深く息をつく。
「真矢、それで提案なんだけど……」
李斗はそう言いかけるが、真矢は手を振りそれを遮る。
「分かってるよ。形状記憶装置〈人体版〉を使えばいいんでしょ? 使うに決まってるじゃない」
「……せっかく元の体に戻れたのに良いのぉ? また入れ替わっちゃうよぉ?」
真矢のその言葉を聞き、笑いながら李斗は言った。
「仕方ないでしょ」
必死に葉矢の手を握る藍香を見ながら、真矢は憮然と言った。
「あれでも一応あたしの半身だし」
やっと水が引いた裏庭で、四人の少年少女が清掃作業をしていた。
「ったく、何でオレらが裏庭の後片付けまでしなきゃならないんだよ……」
可愛らしい顔を歪ませながら、一人の少女――葉矢がそうぼやく。
「まぁ、トラブルを持ち込んでしまったのはあたしたちなワケだし、仕方ないんじゃない?」
その少女と少し似た面影を持つ少年――真矢がそう宥めた。
「けどぉ〜」
箒に顎を乗せながら、葉矢はまだ不満そうに呻く。
「そう言っている暇があったら作業してよぉ。寒いんだからぁ」
李斗は厚手の白衣の中で身を震わせ、集めた木片を紫四郎の上に乗せる。
水神の攻撃を受けた裏庭は半壊し、ほとんどの木がダメージを受けていた。傷付いた木は木の精霊に治して貰っているが、地面に落ちた木片などの処分や地面を平らに均す作業は人の手でやるしかない。というか、親達が自分達でやれ、と子供達に言ったのだ。
「藍さん、こんなことまでやらせちゃってゴメン。ただでさえあの件で辛いことさせちゃったのに……」
「えっ?」
葉矢にいきなりそう話しかけられた藍香は、ビクッと身を震わせる。先程の戦いの後目覚めてから、ずっとそういう態度なのだ。仕方なかったとはいえ、霊的エネルギー銃を撃たせた事はやはりまずかったのだろうか。あの後何度も謝ったし、藍香ももう良い、と言ってくれたのだが、まだ気にしているのだろうか。
葉矢は首を捻りつつ、思わず愚痴る。
「に、してもなーんもいいコトなんかない戦いだったなぁ……。裏庭は荒れるし、真矢は怪我するし、結局追加収入ないし、一時的にでも元の体に戻るの失敗したみたいだし……」
この時葉矢は気付かなかったが、葉矢以外の三人は一瞬ビクッと固まる。
実は、葉矢は意識を取り戻した時に、一時的とはいえ元の体に戻った時の事を曖昧にしか覚えていなかったので、夢だったと思い込ませる事にしたのだ。理由は、意識が朦朧としている時にした告白は無効、という裏ルールが退魔師にあるからだ。それでも藍香は葉矢の気持ちを確認出来ただけで満足らしく、特に抗議はしなかった。
そんな三人の態度には気付かない葉矢は、一人思考に耽る。
(夢だったのは残念だなぁ……。まぁ、夢の中でなきゃ、告白への返事なんてできなかっただろうけど……)
思い返しただけで、顔が赤らみそうになる。先程のような藍香の態度に、もしかしたら自分が見た夢の内容がばれてしまっているのではないかとヒヤヒヤする葉矢。かなり鈍い。
「まぁ、反省点が多かっただけでも儲けものだと思ったら?」
「せやせや、転んでもタダでは起きへん、くらいの精神でいかんとあかんで」
誤魔化す様に言った真矢の言葉に、うんうんと頷く河童。
「そっかー」
「せやせや、前向きに行き」
「ハハ、そうだな前向きに行くよって、何でここにいんだよお前ぇぇぇっ!」
河童の頭を掴んでぶら下げながら、葉矢は叫ぶ。
「い……いやな……。霊界に帰ったら落ち着ける思てんけど、霊界の時代の流れはこっちよりも速くてなぁ……。ヒトに例えたら竹の子族がざんぎり頭を叩きながら『チョベリバ』言うてる、てな状態やってん。やからこっちに戻りたいって思て……」
段々言葉が尻すぼみになっていく。四人が放つ殺気に気付いたからだ。
『戻ってくんじゃなぁぁぁぁいっ!!』
斉唱された突っ込みは、冬空の方に吸い込まれ、消えていった。
完