双子と李斗の家である退魔師の屋敷は寝殿造り風の建物で、普通の一軒家二十軒分の広さは優にある。もっとも、退魔師や道具師などの退魔に関係する仕事に従事する人数が激減した今では、その屋敷の大半は居住区ではなく観光の為に公開されている区画で、土産物屋まである。今は紅葉の季節なので、観光客が大勢訪れる。収入の大半をその観光業から得ているのでそう文句も言えないが、何故この屋敷に住んでいる自分達の方が裏口を使わなければいけないのかと、時々不満に思う真矢であった。
 その裏口まで一行が到着した時、反対側からやって来る人影が見えた。
「京極さん。お久し振りです」
「お久し振りです、真矢さん」
 真矢の存在に気付いた京極もそう返す。彼は双子が入れ替わった事を知っている数少ない一人だ。
何故かと言えば、京極は、現在退魔師の唯一のスポンサーである京都市役所の職員で、退魔師との連絡係をしているからだ。見た目は飄々とした雰囲気を持つ好青年だが、実は中々の曲者である。
 ちなみに、退魔師は京都市役所以外のスポンサーを得られなかった訳ではない。公平さを考え、公共機関以外のスポンサーを選ばなかっただけだ。
「葉矢君や李斗君、……それに、藍香さんも一緒ですか。仲がよろしそうで、羨ましい限りです」
 双子と李斗の背後に目を凝らしながら、京極はそう付け加えた。
 京極のその言葉を聞いて双子は目を丸くして顔を見合わせたが、呆れた様に溜息をつくと、門をくぐり、屋敷の中へ入る。すると、目よりも高い位置に、鮮やかな紅葉が姿を現す。闇を纏ってはいたものの、その鮮麗さを完全には失っていなかった。
それを見て、京極は微笑む。
「紅葉はやはり良いですね。先日、チョーク投げの全国大会に向けての練習をしたのですが、舞い落ちる紅葉の先にある的を狙う、という風流な事もしてみました」
「それはいいですねぇ。表の紅葉も今ちょうど見頃ですよぉん」
 李斗がちょうど目の前を落下中の紅葉を掴みながらそう言った。ちなみに、表、とは観光区画の事だ。裏口から続く裏庭にも紅葉はあるのだが、観光区画と違ってライトアップされていないので物寂しい。また、公開されている庭園と違って石畳も敷いていない。地面を彩る紅葉も、土を被ってどこか惨めそうだ。しかも壁を塗り替える為の白色のペンキが片隅に放置されたままだ。
「あーあ、ここの紅葉もライトアップすればいいのに。そしたら人込みに揉まれるコトなくゆっくり夜の紅葉狩りが出来るのにぃ」
 ついそんな言葉が口を突いて出てしまう真矢。
「そうですか? 私はここの侘しい紅葉も好きですけどね。お宅の状況を上手く反映していると思いませんか?」
 物珍しげに辺りを見渡す河童の横で、京極はにこやかにそう言った。睨みつけてくる双子を気にせず、彼は言葉を続ける。
「それに、ライトアップはいかがなものかと思いますよ。何せ電力が掛かりますからね。省エネ時代ですし、控えないと。今日はその事でご当主さんにお話があって来たんですよ。京都市全体で足並みを揃えたいですからね。環境に配慮した町だとも宣伝できますし、一石二鳥です」
 ちなみに、当主とは双子の祖父の事だ。
 そうこう言っている内に、退魔師達が使っている棟(道具師が使っている棟は別)の玄関まで辿り着く。観光区画内にある建物の玄関とは違い、和風ではあるものの、ごく普通の玄関である。
 戸を開けると、一人(?)の式神が双子の帰りを待っていた。
「葉矢さま、真矢さま、李斗さま、お帰りなさいませ。藍香殿、京極殿、ようこそお越し下さいました」
 自分の姿が見えていない人にまでに律儀に挨拶するその式神は、大型犬程の大きさがある達磨の頭の姿をしていた。双子の式神である『カシラ』だ。
「ただいま、カシラ」
 そう言う真矢の横で、葉矢は急いで靴を脱ぐと、タオルを取りに洗面所へ駆けて行く。李斗は冗談交じりに「おじゃぁまするねぇ」と言い、藍香は取り敢えず頭を下げ、京極は「おじゃまします」、と言いつつ慣れた様子で家に上がる。いつもの光景だ。しかし、カシラはいつもの様に笑顔でそれを見送る、という事はなく、河童にじっと視線を注いでいた。
「真矢さま、こやつは?」
「帰る途中で会った河童よ。何かあたしたちに用があるみたい」
 真矢はそう答える。河童のせいで藍香が濡れた事を話したら、忠誠心の強いカシラは河童を家に上げる事を反対すると思ったからだ。
「あたしたちがちゃんと見張っておくから大丈夫よ。それよりも、じい様呼んで来て。京極さん、じい様に用があるんだって」
「よろしくお願いします」
 京極もそう言う。カシラはまだ不服そうだったが、廊下の奥へ引っ込む。そしてカシラと入れ替わりで、葉矢がタオルを手に走って来、タオルを藍香に渡す。
「ありがとう。……ごめんね」
「いいよ。真矢、藍さんに服貸して」
「分かってるわよ」
 頭を下げているのか、俯いているかの状態の藍香を促し、自分の部屋へ連れて行く真矢。そして更にそれと入れ替えで、カシラが廊下の奥から戻って来た。
「申し訳ありませぬ。新たな土産物に関する議論が紛糾しておられるみたいで、しばし時間が掛かるかと……」
 それを聞いて、葉矢は困った顔をする。
「そんじゃぁ、仕方ないなぁ。京極さん、すんませんけど応接室で待っていて貰えますか?」
 京極は僅かに首を傾げ、悪戯っぽく言った。
「そうさせて頂けるのもありがたいですけど、一応物の怪退治に関する業務に就いている身なので、出来る事なら河童さんのお話を拝聴したいのですが。なに、訳して頂ければ私にも理解出来ます」
 再び苦い顔で京極を見る葉矢。河童がその表情の意味を尋ねる前に、葉矢は歩き出していた。
「それじゃ、萩の間にしようか。あっちの方が広いしな。カシラ、真矢たちに客間に行くって伝えてくれ」
 カシラは黙って頭を下げ、真矢の部屋へ行く。それでやっとカシラの刺す様な視線から解放された河童は、急いで葉矢達に合流する。
 訪問客の多い退魔師の屋敷には、来客用の部屋が幾つかある。その中で萩の間は三番目に広い客間で、六人(?)居ても充分過ぎる程の余裕がある。その部屋の真ん中に、円を描く形で一同は座っていた。濡れるといけないからと真矢が座布団の上に敷いたビニールの上で、河童は居心地悪そうに正座をしていた。
「で、オレらに頼みごとって何だ?」
 このまま互いに黙り込んでいても埒が明かないので、葉矢がそう切り出す。ちなみに葉矢も一応着替えた。
「泳げないから泳ぎを教えて欲しい、とかですか? これぞ正に河童の川流れ、ですね」
 笑いながら京極がそう言った。河童はしばらく目をぱちくりさせていたが、
「無駄にインテリそうに見えるけど、言うてる事は小学生レベルの駄洒落やな、自分。表示偽装で捕まったらええんや」
 と、ボソッと毒を吐く。その河童の向かい側で、
「聞こえていますよ。悪かったですね、無駄にインテリそうで」
 と、至ってにこやかに言う京極。その言葉に、河童の表情がひきつる。首をギギギッと動かしながら葉矢の方を向くと、葉矢は諦めた様に首を振る。
「京極さんも霊感持ってるよ。それもかなり強いやつ」
「……本気で意地悪いな、自分」
 恨めしげに京極を睨みながら、河童は元々尖っている口を更に尖らせる。
「いや、相手に聞こえていないと分かると、皆さん『素直』に喋る事が多くてですね、初めて会った物の怪さんには私が霊感を持っている事を知らせずに私の印象を訊いているのですよ。なかなか興味深い結果が返ってきます」
 京極が人の悪い笑みを浮かべながらそう言った時、部屋の襖がガラリと開く。開けたのは、青色の平べったい円柱だった。
「失礼致します……、お茶を持って参りました」
 そう深みのある声で言いながら、青色の円柱は転がり入って来る。
「ありがとう、青次郎(せいじろう)。それから、赤太郎(せきたろう)黄三郎(きさぶろう)紫四郎(ししろう)もありがとう」
 彼らの姿が見えない藍香にも『誰』が来たのか分かるようにそう言った真矢の視線の先には、更に三つの影が現れていた。それは赤色、黄色、紫色の平べったい円柱であった。それぞれ湯飲みを二つずつ体の表面の平たい場所に乗せている。彼らは体の硬度を変える事が出来るので、体を捻って襖を開ける事も、お盆代わりになる事も出来るのだ。
 この円柱達もカシラと同様、双子が創った式神だ。カシラと合わせると達磨落しの姿になるので、双子は総称して『達磨落しーズ』と呼んでいる。
 赤太郎、黄三郎、紫四郎は畳から二十センチ上辺りをフヨフヨ飛びながら、お茶をこぼさないように慎重に進む。三人(?)の姿が見えない藍香には湯飲みが浮いている様に見えるので、キラキラした目でその姿を追っていた。
「いい加減本題に戻るよ。あたしたちに頼みごとって何なの?」
 湯飲みを受け取りながら真矢は促す。その間に達磨落しーズは夕飯の手伝いをしに部屋から下がる。
「……それがなぁ……」
 湯飲みを両手で握り締めながら河童は言いにくそうに口籠る。
「もうここまで来たんだろ? 今更引き返すなんてナシだからな。さっさと言えよ」
「実はな……ここの水神さんの一人(?)に追われとんねん」
『……はい?』
 やや早口気味に吐き出されたその言葉の意味が分からず、ハモる一同(藍香以外)。代表して真矢が尋ねる。
「水神に追われてるって、どういうコトなの?」
 河童は遠い目をする。
「ワシはもう数世紀も河童やってんねん。やから、確かに世の流れっちゅうもんを人間よりも大雑把に見てんねん。けどな、そんなワシから見ても昨今の世の流れは速すぎんねん。あれよあれよという間に今まで住んどった所は開発されて住めんくなるし、そんであちこち放浪して住む所探したんやけど、どこも開発やら環境汚染やらで住まれへんし。このままじゃあかん思て、少しでも時代の流れに乗ろうと流行りとかチェックしてみてんけど、あれコロコロ変わるやろ? なめ猫やとかタケノコ族やとかチョベリバやとか、全くついていかれへんねんな」
「なんか、歴史の教科書で習ったような単語……」
「数世紀も生きてきた身からしてみれば、全部ひっくるめて『最近』、なんじゃない?」
 そう小声で言い合う齢十四の双子。
「ほんで、ふと霊界がどうしようもなく恋しなってなぁ。帰ろう思てんけど、霊界への門があった所がパチンコ屋になってしもうてて、帰るに帰られへんかってん」
「それで、どうして水神に追われるようなことになるんだよ」
 本題に行き着くまでの長さに苛立ち、イライラと先を急かす葉矢。
「焦らんとってや。ほんでワシ困って、世話になっとる水神さんの一人(?)の龍兵衛さんに相談したんや。したらな、龍兵衛さんはワシが霊界に帰るの許さへんって言いだしてん」
「何でカニィ〜?」
 指をチョキチョキさせながら李斗がそう尋ねた。
「ここに住まわして貰う時にな、貢物ゆうか手土産として前に居た神戸の某おいしい水を持ってんてん。龍兵衛さん、それがいたく気に入ったらしくてなぁ。龍兵衛さんにも最近の世に対する不満があんねん。人間が感謝してくれへんくなったとか、ミネラルウォーターに外国産のものが多い、とか。そのせいでここん所ヤケ酒ならぬヤケ某おいしい水をしとってな。ワシがおらんようなったら某おいしい水が飲めへんくなるから、やて。けど、ワシは帰りたいし、絶対帰る言うたら、ワシが帰るん阻止し始めてん」
「自分で手に入れろよ……」
 呆れた様に言う葉矢。
「龍兵衛さん龍やから、スーパーから取って来る事出来へんねん」
「万引きしてたのっ!?」
「せやかて……。河童(ワシ)にレジに並ばれたら店の人困るんやないの?」
「それもそうだけど……」
 頭を抱え込む真矢の斜め向かい側で、京極は深刻な顔をしていた。
「……困りましたね。万引きは勿論治安上良くありませんし、何よりもまずいのは水神が神戸の某おいしい水をがぶ飲みしている、という事態です。万が一にでも京都の湧き水に神戸の某おいしい水が混じってしまうような事があれば、産地偽装で京都市の信頼は地に堕ちてしまいます。そうなる事だけはどうしても避けなければ」
「そこが問題ですか?」
 考え込む京極も呆れた目で眺めながら、葉矢は突っ込む。
「ともあれ、是非私としても彼に協力して頂きたいですね。これ以上水神が某おいしい水を飲む事は絶対に避けなければいけません」
 それを聞いて、李斗は少し意地の悪い顔をする。
「けど、京都市役所からの依頼は『京都市に現れる物の怪を退治してくれ』じゃなかったでしたっけぇ? いくらそうしないと由々しき事態なるかもしれないからといって、物の怪の頼みを聞くコトなんて依頼内容に入ってませんよぉ?」
 別に、この発言は李斗の性格の悪さ故に出たものではない。退魔師と京都市役所の因縁が浅からぬものであるが故の発言である。
 その因縁は、時の京都市議会が京都市の観光都市化促進の為に、市内の電線を全て地中に埋める事による景観の改善を図った事に始まる。近代に入り撤去されてしまった物の怪から京都の町を守ってきた仕掛けの代わりに、退魔師達は電線を使って結界を張り巡らせていた。しかし今度はその電線が撤去されてしまったのである。
 京都市が事の重大さに気付いたのは、それからしばらくしての事だった。歴史の長さ故に物の怪の多い京都の町は、再びその脅威に晒されてしまったのである。事態を憂慮した市役所は、退魔師に物の怪退治を秘密裏に依頼したのである。ただし、依頼料は雀の涙程で、しかも労働量に関わらず報酬は一定である。その理由は、もし非科学的なものに多額の公費を払っている事がマスコミに露見したらまずい、と考えたせいと、市役所でどれだけの物の怪を退治したか確認するのは困難だからである。
 退魔師としてはこの報酬額では生計を立てていく事が出来ないので、依頼料アップを常々要求している。しかし未だにその要望には応えて貰えず、副業の観光業に収入の大半を依存する状態が続いている。それどころか、成功と違って失敗した事ははっきりと分かるので文句をつけられる事もある。それを悪い、と言う気はない。相手の事情だって重々承知している。しかし、それでもムカつくものはムカつく。先程のようなイヂワルだって言いたくなるのである。
 そしてそのイヂワルを聞いて、京極は少し困った顔をする。
「確かにそれもそうですが、依頼内容の拡大解釈は依頼主の特権、という格言もある事ですし」
『ねぇよ』
 双子と李斗が口を揃えて突っ込む。
「そうなのですか? 私の恩師はよく口にしていましたが……。ともかく、我々側の事情を置いておくとしても、実際彼は困っているわけですから、物の怪助けのつもりで助けてあげてもいいのではないですか。いくら私達の事が気に入らないからって、彼にいけずをしてはいけませんよ」
 いけしゃあしゃあとそう言った京極を三人はジト目で睨む。
「せやせや、いけずせんといてや」
 河童も同意する。河童の事情は分かるし、手を貸してやりたい気もする。しかし、京極の思い通りになるのはどうも気に入らない。
「いいじゃないですか。人助けをして損をした気分になる、という人生は侘しいものだと思いますよ。見返りを求めずに何かをする、というのは何とも素晴らしい事ではありませんか」
 心なしか『見返りを求めず』の所を強調しながら京極は言い募る。
「……確かにそうですけど、それで今回『物の怪助け』をしてしまったら、今後も同じ名目でこき使われそうな気がひしひしとするのですが……」
 感情論を並べ立てた所で勝てそうにもないので、真矢は取り敢えずそう言ってみる。京極は心外そうな顔をした。
「そんな事ないですよ。正式な手順さえ踏んで頂いたら、きちんと一考させて頂きます」
「一考するだけなんでしょ?」
 葉矢が鋭く切り返す。
「一考すらして貰えないよりましでしょう?」
 とぼけた様子で京極は言い返す。更に葉矢が言い返そうとしたその瞬間、
『――!?』
 藍香を除くその場に居たものは皆、何かの気配を感じ取り、腰を浮かす。飛びつく様に縁側の障子に駆け寄った双子は、そのままの勢いで障子を乱暴に開けた。
「……げぇ……」
 皆の気持ちを代弁するかの様に葉矢が呻く。彼ら彼女らの視界の先では、巨大な龍が上空でとぐろを巻いていた。


 夕飯が出来た事を双子と李斗に知らせようと回廊を進むカシラは、一瞬己の目を疑った。普段はこんな所に出て来る筈のない水神が、欠け始めた満月を背に浮かび上がっていたからだ。
「カシラっ」
 カシラが呆然としている間に、青次郎と黄三郎がカシラの元に駆けつける。
「カシラ……。一体これは何事なのでしょうか……?」
 青次郎にそう問われ、カシラはようやく我を取り戻す。
「ワシにも分からぬ……。ところで、赤太郎と紫四郎は?」
「急ぎ駆けつけようと焦ったばかりに盆としての役割を失念してしまい、上に乗せていた料理を落してしまったが故に御尊母からお叱りを受けております」
 ちなみに御尊母、とは双子の母の事である。
「まったく……。二人(?)ともまだまだ修行が足りぬようだな。まあ良い。皆はワシと共に御当主さまへ対応策を伺いに行き、その後赤太郎と青次郎は葉矢さまと真矢さまの御装束をお持ちし、黄三郎と紫四郎はお二方への連絡係となる事。良いな?」
「受け賜りました……」
「御意に」
 青次郎と黄三郎は頷くと、赤太郎と紫四郎を呼びに来た道を引き返す。
 その姿を見送った後、カシラは異形の影に切り取られた月を仰ぐ。
「しかし、水神殿は何故このような所に……?」


「マジで神戸の某おいしい水を飲みたいがためにやって来やがったぁぁぁぁっ!!」
 思わず葉矢はそう叫ぶ。彼の人生の中で下らない事は山程あったが、これはその中でも頂上付近に値するものだ。
「まぁ、食べ物の恨みは怖いと言うからねぇ。今回は飲み物だけど」
 李斗がしみじみと言い、真矢は焦った表情で叫ぶ。
「んなコト言ってる場合じゃないでしょっ! どうすんのよ、この事態っ!? 水神だなんて、私たちじゃ処理できないよ!」
「それならば大人の方々に対処して頂くか、河童君を引き渡すかですね。私は児童労働に反対の立場を取りますので、前者を推します」
「河童さんを引き渡す選択肢と児童労働は関係ないですよ……?」
 さりげなく河童を引き渡す、という自分にとって都合の悪い選択肢を消した京極に、藍香が小声で突っ込む。
「ねぇ、河童君。あれが龍兵衛さん?」
 李斗が振り返って未だに呆然としている河童に問いかけ、河童はノロノロと首を縦に振った。
「けど、ホンマに来るなんて……。退魔師敵に回してもエエ事なんか一つもあらへんのに……」
「逆に言えば、こちらとしても水神を敵に回して良いことなんか一つもないの。さっきも言ったけど、私たちの一存で決められる話じゃないよ。じい様に相談してから動かないと……」
 冷静さを取り戻し始めた真矢は独り言の様に呟く。
退魔師と物の怪は決して反目し合っているばかりではない。互いの利益の為に協調姿勢を取る事だってある。中、下級の物の怪ではそうもいかないが、水神などの上級クラスの物の怪ともなると意思交換も出来るので、対決する事などまずないと言っていい。それだけに、この事態は深刻だった。
「ただ河童を霊界に帰すのならともかく、水神と対峙するだなんて……。他の水神の意思も確かめないと大事になるよっ」
「どういうことなの……?」
 頭を抱える真矢の後ろで、藍香が葉矢に尋ねる。
「他の水神が河童を霊界に帰すことを認めて、そのためならあの水神を攻撃しても構わないって言ってくれたなら攻撃できるけど、ダメって言われたんなら、こちらとしては水神と敵対してまで河童の願いを叶える義務はないし、河童を引き渡すことになるんだ」
「そんな殺生なっ!!」
 場合によっては見捨てられるのだと理解した河童はそう叫ぶ。
「そうですよ。自分達の不利益ぐらい、ちょっとのサービス精神があれば気にならないはずです。ささ、もう一声」
「んなサービス精神ないっ……」
 京極のどことなく理不尽な要求に、青筋立てた葉矢が怒鳴り返したその時――
ジュビシャシャシャンッッ!!
巨大な水柱が空から降りてきた。間近にそびえ立った水柱は地面をえぐると、威力を失い形も失う。真矢が空を仰ぐと、雨の気配のなかった空気が、心なしか湿っていた。そしてふと、部屋が暗い事に気付く。
「停電源を落としたのか?」
 ほぼ暗闇に近い空間に、葉矢の声が落ちる。外から屋敷内の様子を見られないように、屋敷内のブレーカーを全て落としたらしい。
「の、ようね。これなら外に出た方が視界いいね」
「だな。危ないから、みんなはじっとしててくれ。オレと真矢で外に出る」
 そう言うなり傍らに置いていた弓矢を掴んで飛び出そうとする葉矢に、李斗はのんびりと声をかける。
「焦る必要もないと思うけどねぇ。それに、君たちが出て行ったら逆に龍兵衛さんを挑発しちゃうカモカモよぉ」
 ふざけた口調だが、言っている事は正しい。葉矢はイライラと座り直す。李斗は部屋に備え付けの懐中電灯を取り出した。
「新開発の武器がボクの研究室にあるから、念のために取って来るねぇ。当主さんの指示があるまで動いちゃノンだよん」
 指を振りながら葉矢に懐中電灯を渡すと、自分のモノクルを操作してサーモグラフィー状態にする。
「新開発の武器ぃ? あぁ、霊的エネルギー砲の小型版のコト?」
 その単語を聞き咎めた真矢が問う。
「そ、期待しててねん♪」
 そう言って去ってく李斗の背を、双子は不安気に見送る。李斗が心配なのではない。李斗の発明品が余計な事をするのが心配なのだ。
霊的エネルギー砲もそうだが、以前に開発した形状記憶装置〈人体版〉(回復装置の一種)が魂の状態まで記憶していたせいで、せっかく元の体に戻れたのが水の泡になってしまった事もある。その他、枚挙すれば暇がない程李斗の発明品は悪い方に働く事が多いのだ。
「できれば、李斗が帰って来る前に決着をつけたいな……」
「そりゃそうだけど、じい様からの指示がないと本気でどうしようもねぇぞ」
 むくれた調子で葉矢が言ったちょうどそのタイミングで、黄三郎と紫四郎が部屋に文字通り転がり込んできた。
「葉矢殿、真矢殿、御当主殿からのお達しです」
「他の水神連中に連絡つけてっから、許可が出たらすぐに攻撃開始出来っように待機しとけ、との事ッス」
「あと、それまで牽制はなされてもよろしゅうございますが、ゆめゆめ当てられる事は無きようにお願い致します。それと、建物と観光用開放区画の防御を最優先する為、裏庭で戦え、との事です」
「つまり、裏庭まで誘き出せってことか?」
「はい。また、防御範囲は常時よりも広くなっておりますが、外部への被害も無きように、との事で。今、赤太郎と青次郎がお二人の御装束を持って参ります故、もう少々ご辛抱を」
 黄三郎と紫四郎は口々にそうまくし立てる。が、葉矢は二人(?)の言葉の途中で縁側に出る。
「葉矢の兄貴っ?」
 驚いた紫四郎は、慌てて葉矢に声をかける。
「今から裏庭へ行く。裏庭から誘き出せばいいし、じい様からの連絡を待ってる間にそこで着替えりゃいいだろ」
「ちょっと、さっき李斗が言ってたでしょ。あたしたちが姿を見せたら水神を刺激してしまうかもしれないのよ!?」
「じゃあ、取り返しの付かない事態になるまでここで待ってろって言うのかよ!?」
 振り返り、葉矢は怒鳴る。藍香に被害が及ぶ前に事態を収めたいという焦燥と、藍香に良い所を見せたいという見栄が、今の彼を支配していた。
「何焦ってんのよっ! 装束を着る時間くらい待てないのっ!?」
 つられて真矢も怒鳴る。この時双子はまだ気付いていなかったが、それらの怒鳴り声が龍兵衛の関心を双子の居る縁側へと引き付けてしまう結果となっていた。
 ぎぉぉんっ
 龍兵衛の瞳孔が双子を捕らえる。そして、その先に捜し求める河童がおり、双子が自分の望みを妨害する存在だと認識した瞬間、龍兵衛は攻撃を開始した。
 ドブュシッッ!!
 圧縮され、十分に殺傷能力を帯びた水流が、幾筋か双子に向かって突き進む。
 ビュワァァッ!
 そのいずれもが屋敷を護る結界に阻まれ、形を失う。だが、それでもその勢いは完全には失われず、水は豪雨となって降り注いだ。
 雨が地面を穿つ音を聞き、双子はようやく異常事態に気付く。が、視界が白濁する程に降り注ぐ雨粒のせいで、その先に居る龍兵衛の姿を見る事が出来ない。
「サブっ! シロっ! 藍さんと京極さんを奥へっ!! 河童、お前もだっ!」
 葉矢は振り返り、黄三郎と紫四郎に指示を飛ばす。
「御意にっ」
「了解ですっ」
 二人(?)は藍香と京極を急かし、河童も四人(?)の後を追う。
「葉矢君っ! 真矢ちゃんっ!」
 懐中電灯を手にした京極に手を引かれながら、藍香は呼びかける。
「大丈夫だから、早く安全な所にっ」
 視線を再び龍兵衛の方に戻す途中で、葉矢はそう返し、真矢も強張った微笑を藍香に送る。
「さ、我々が邪魔になってはいけません。退避した方が得策です」
 京極はそう言うと、藍香を奥へ連れて行く。
(役に立てないの……、私?)
 大人しくついて行きながらも、藍香は自問する。霊感のない自分は、この状況では役立たずにしかなれない。でも、何かしたい。自分に出来る、最大の事を。
 一方葉矢と真矢は、龍兵衛との雨越しの睨み合いを続けていた。時折結界の揺らぎを感じるので、水神の攻撃が止まないのは分かる。
 双子は既に矢を番えているが、鏃はまだ下を向いたままだ。
静かに呼吸を繰り返す。単調な音の繰り返しはいつしか無音と同義になり、聴覚から消え去る。
雨音。息遣い。それらだけで構成されていた音の世界に、突然乱入者が現れる。
シュバンッッ!!
続けられた攻撃に綻(ほころ)んだ結界の隙間から、一条の水流が縁側に突き刺さる。
 龍兵衛からも双子の姿がはっきり認識出来ないのか、その攻撃は避けずとも当たらない。しかし、そんな幸運がいつまでも続くとは思えない。
「これでもまだ、攻撃しちゃ駄目なのかっ?」
「指示が来るまでは我慢して。第一、ここから攻撃したって当たるワケないよ。裏庭に移動しようにも、達磨落しーズはいないし」
お互いの姿を見ないまま、問う葉矢に答える真矢。止まない豪雨が、双子の側からの攻撃も困難にしている。
「それもそうだけど……」
 焦りが滲む声で、雨の緞帳(どんちょう)を見詰め続ける葉矢。この先から攻撃が来るのなら、いつまで避け続けられるか分からない。
「若っ! お嬢!」
 その時、風呂敷包みを背負った赤太郎と青次郎が部屋の奥から急いでやって来る。
「遅くなって申し訳ねえです。早く装束にお着替え下せぇっ」
「いつ攻撃が来るのか分からないこの状況で、か?」
 切羽詰った様な赤太郎の声に、葉矢は静かに返す。その言葉に、青次郎は小さく息を呑む。
「……それ程事態は深刻なのですか……?」
 深みのある彼の声に、いつもの様な余裕はない。その注意は、不自然な雨の先にある存在へと既に向いているようだった。
「雨……ですか。これは厄介ですね……。魂の感知能力は水神の方が上です。この状況が続けば、先に倒れるのはこちらの方……」
 冷静に状況を分析した青次郎の言葉に、真矢は頷く。
「うん。早く裏庭に行った方がいいね」
葉矢は矢筒の紐をきつく締め直す。
「じゃ、裏庭に移動すっか。セキ、最速移動だとどん位で裏庭に着く?」
「十秒もありゃ十分でさぁ」
「分かった」
兄妹はそれぞれ赤太郎と青次郎に乗る。
「けれど、本当にお着替えをなさらないでよろしいのですか?」
 真矢の下で、青次郎が不安気に尋ねる。
「仕方ないよ。着替えの最中にやられるとか、お間抜け過ぎるもの」
 真矢は青次郎から風呂敷包みを取り外す。
「先にあたしが出るから、葉矢はその後」
 感知能力が高い真矢が簡潔に指示を飛ばす。
「ああ。気をつけて」
 真矢は頷き、白濁した世界に飛び出して行く。十四年間も住んできた屋敷だ。視界が利かなくても何がどこにあるかは分かる。
 雨が跳ね返る音に遮られながらも、真矢は水神の攻撃が迫り来る音に警戒を向ける。極度の緊張を強いられた飛行は、実際の時間と体感時間に大きな差を残しながらも終了した。裏庭にはまだ雨は及んでおらず、紅葉は乾いた状態で地面に横たわっていた。
 濡れ鼠状態になった真矢と青次郎は、再び龍兵衛の姿を仰ぐ。怒りを纏った水神は、絶え間ない攻撃を一箇所に集中させていた。
「あの先にあたしたちが居たのね……。背筋が寒くなるよ」
「風邪引いたんじゃねぇの? オレの体に風邪引かせんなよ」
 ポニーテールから水を絞りながら、葉矢も姿を現した。
「じゃあ、ヤだけどこっちに注意を引き付けますか」
 真矢は両手の人差し指と中指を立てるとその先に霊力を込め、半円を描く様に大きく腕をクロスさせる。すると、闇に二本の光る弧が浮かぶ。実体のないそれを真矢は右手で掴み、左手で背に負っていた弓を取る。そしてその二つを重ねると、右手にあった光の線は消え、左手に持つ弓に細かく刻まれた無数の文字が光り出す。続いて矢筒から矢を一本取り、番える。矢に刻まれた無数の文字も、弓との接触により光を帯びる。
そして弦を絞り、矢を放つ。注意を引く為のものなので、当てる気はないし威力もない。それでも、水神の瞳は裏庭へと向いた。
「で、この先オレらにどうしろと?」
「許可が出るまで避け続けるんじゃない?」
 そんな会話を交わしながら、双子は身構える。赤太郎と青次郎も息を詰める。双子がどれだけ避けられるかは、彼らにかかっているのだ。
 ドビュシッ! シャジャッ! ギュゥンッッ!
 庇護を無くした裏庭に、龍兵衛の攻撃が容赦なく突き刺さる。雨という幕を失った事は、お互いの動きを速く、正確にしていた。
 最早龍兵衛は双子に当てるつもりで攻撃を仕掛け、双子はそれを素早く見切って避け続け、低い姿勢で牽制の矢を放つ。
 攻撃が放たれては、それを避ける。その単調な繰り返しが続き、地面に穿たれた穴と舞い散る落葉の数だけが時の経過を伝える。
 いつの間にか裏庭は浅い池と化しており、浮かべた紅葉の隙間から月夜を映し出しては波紋を描く。跳ね返った水は赤太郎と青次郎を濡らし、双子の足場を確実に悪くしていた。
「っ、くそっっ」
 間近を通り過ぎた攻撃に、悪態を付く葉矢。しかし次の瞬間足が滑り、体が後に傾ぐ。
「へっでゅぅぅうぅぅっ!」
 そんな叫び声が後から聞こえた、と思った直後、今度は前に突き飛ばされる。
「葉矢さまぁぁぁっ!?」
 後から再びカシラの声が響き、体に急ブレーキが掛かる。カシラが葉矢の服をくわえて引き止めたのだ。
「ぐぇっ!?」
 襟で首を絞められ、咳き込む葉矢の背をカシラはこする。
「も……申し訳ございませぬ。とっさにお助けしようと思ったものですから」
 動きを止める事の出来ない赤太郎の上で、葉矢は気持ち悪そうに喉をさする。
「で、何の用だよ……?」
「はっ、御当主さまと水神殿方の話し合いがつきまして、龍兵衛殿に対する攻撃が許可されました」
 葉矢の今までの表情とは一転、パッと明るくなる。
「じゃ、当てていいんだなっ?」
「はい。むしろ『ボコっていいから目を覚ましてやってくれ』という勢いだったそうです。水神殿方も龍兵衛殿が某おいしい水ジャンキーになっている事を憂慮しているみたいですな」
 うんうんと頷くカシラを尻目に、葉矢は新たな矢を番える。
「あまり深追いなさいますな、葉矢さま。大人の方々はほぼ新たな配置となった結界の管理でお手が一杯であらせます故、お二人の助けに回る事が困難です。当てになさる事は出来ませんぞ」
 葉矢は少し表情を引き締める。結界は高度な技なので、双子にはまだ使えない。屋敷や周囲への被害を防ぐ為には結界が必須なので、確かに大人を当てに出来ない。
「只今戻って参りました」
「遅くなって申し訳ないっスっ!」
 背後から黄三郎と紫四郎の声が聞こえた。真矢は手で散開するように伝える。
 葉矢は袖で赤太郎の表面を拭き、裏庭に近付きつつある龍兵衛を睨む。
 そして、次に放たれた矢は新たな局面へ向かう。

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