ワタオレ、オレワタ〜流され河童の憂鬱〜 津月
存在は、誰かに認識される事により初めて産まれる。だとしたら、この状況は一体何なのだろうか、と少女は思った。
居るのだと分かっていないと、認識出来ない。確かに居る事が分かっているのに、認識出来ない。そんな状況。
何の事情も知らない人が見ると、少女は寒空の下、何の風情もないまばらな曇り空を眺めていると思うだろう。しかし、少女の眼差しの先にあるのは月明かりに見え隠れする二つの点。そして見ようとしているのは二つの点と対峙しているであろう物の怪の姿だった。
その少女の視線の先、二つの点にしか見えなかった二人の少年少女も、ここでは年相応の大きさを持って空を浮かんでいた。
纏った白い衣はまだらな月光を忠実に反映している。刻々と変化する純白と薄灰色の模様の移り変わりを更に速くし、二人は空中を重力などまるで存在しないかのように動き続ける。その周りを、例え地上の少女に霊感があったとしても小さ過ぎて見る事の出来ない幾つもの円柱状のものが飛び交う。
そして、それらの影よりも遥かに巨大な異形の影が、同じ空間に泳いでいた。霊感のない地上の少女には、この大きな影も見えない。
見詰める先に舞う二つの点は、矢を
巨体故に自身の体の隅々まで気を配れない異形は、迫り来る矢に気付くのが僅かに遅れた。そしてその僅かな遅れは、この状況では致命的なものとなった。
ぐぎゃぁぁぁぁぁっっっんっ!!
異形の苦痛に満ちた悲鳴が大気を揺らした。悲鳴は強風となり空中や地上に吹き荒れる。
異形の声が聞こえない地上の少女には、突風が上空から吹いて来たとしか思えない。強い風をまともに顔に受け、思わず強く目を閉じる。次の瞬間、閉じた視界が黒から僅かに赤に変わる。ハッと少女が急いで目を開け、その視界が回復した頃には上空には光の残滓さえ残っていなかった。それを見て、少女は残念そうな顔をする。しかし次の瞬間にはキュッと緊張した顔になり、夜の古都を駆けて行った。
そして今まで少女が立っていた位置の後、塀と土で舗装された道路との間にある小川から少女の姿を追う、光る二つの目が出現した。
暦の上では秋だが、体感温度ではもう冬と言っても差し支えなくなった頃。早くなった夕暮れの中、太陽光が尽きる前に帰ろうと足早に歩く中学生の集団の中を、二人の少女はゆっくりと歩いていた。少女達の歩いている道の横脇には小川が流れており、夕陽を受け光る水面は、赤い宝石よりも澄み切って輝いていた。
「……あのね、そんなに落ち込まなくて良いんじゃないかな
「けどさぁ〜」
葉矢、と呼ばれた、黒髪を肩までのポニーテールにした少女は、黒髪を肩できっちり揃えた少女――町田藍香の慰めにも関わらず、がっくりと落した肩を上げようともしない。
「確かに、的がでかくてやりやすい代わりに
ぼそぼそと愚痴り続ける葉矢に、藍香は苦笑する。
「でも、拡散モードにしたら薄まっちゃって、逆に危険だったからそうしなかったって
「だったらいっそ撃たないでくれ……。モロに喰らったし……」
「物理的な破壊力はないんじゃなかったっけ……?」
「ないよ。けど、精神的なダメージは喰らってダーリダリになるし、しばらく痺れたみたいに体中ピリピリしちゃうんだ」
がくーっとうなだれる葉矢。そんな葉矢を気遣わしげに見詰める藍香の顔を、葉矢は横目で見上げる。
「……? 何?」
気恥ずかしそうに、藍香は尋ねる。葉矢は藍香の方に体を向けた。
「ごめん、また『戻れ』なかった」
どこか照れた様な真摯な顔。その表情に、藍香は顔を真っ赤にしながら蚊の鳴く様な声で答えた。
「う……ううん。気にしなくていいよ。仕方ないもの。そういう時だってあるよ……」
「いや、そういう時ばかりな気が……」
成功した事がないのだから、つまりはそういう事だ。
葉矢は遠い目で、秋空の彼方に行ってしまった夏空を思い出す。
あれはまだ夏の盛りの頃。退魔師の家系で、自らも退魔師である葉矢と双子の妹の真矢は、普段通り真夜中の物の怪退治に勤しんでいた。勿論、終業式の日に配られた『夏休み中の注意』で夜間の外出は禁止されていたが、親が『行け』と言ってしまえば、そんな学校との指きりげんまんなど、針千本飲まなくても無効になるのである。
無論、大人達は退魔が出来ない訳ではない。だが、副業の観光業や事務処理で手一杯なので、本業である筈の退魔業を修行の為と銘打って子供達に押し付けているのだ。
話を戻そう。双子はてこずったものの、物の怪を矢で射る段階まで到達した。双子はまだ半人前なので二人の矢を同時に当てなければならない。一コンマの狂いもなく正確に、同時に射抜く為には双子で魂のシンクロを起こさなければいけないのだが、その時にはそれが裏目に出た。
双子のサポート役であり、退魔専用道具師(半人前)である李斗が『援護の為に』放った『霊的エネルギー砲』が、シンクロ状態の双子を直撃し、二人の魂は一時的に肉体と離れ離れになってしまい、結果、双子の魂は入れ替わってしまったのだ。
物の怪の魂と混ざり合わなかった事だけが唯一の救いだが、そんな悠長な事を言ってもいられない。何せ来年には高校受験が控えているのである。三年生になるまでに元に戻らないと、今後の人生に重大な差し障りが出てくる。魂が入れ替わってしまってからというもの、双子は退魔のたびにその時の再現を行い元に戻ろうとしているのだが、ことごとく失敗している。
あの頃とは打って変わっての冷たい空気に、心まで寒くなる。晴れ渡った秋空とは対照的などんよりした表情で、葉矢は溜息をつく。
「あっ……。ゴメンね、落ち込ませちゃった……?」
気付けば、隣に居る藍香が沈み込んだ表情をしていた。葉矢はアワアワと首を横に振る。
「いやっ、色々思い返してただけだからっ。そんな、ちょっとした一言で傷付くようなプリリンハートじゃないって、オレはっ」
大声で言ってハッとなる。慌てて周りを見渡すと、自分の事を『オレ』と呼んだ少女をやや奇異な目で見る生徒達の姿があった。
「あ……あはははははははははー……」
乾いた笑い声で誤魔化す葉矢。それで生徒達も興味を失ったのか、各々の会話に戻る。それを見て葉矢はホッと息をつき、藍香の方に向き直った。
「とにかく、藍さんのせいじゃないから、気にしないで。なっ?」
今度は小声で、そうフォローする。
「……うん。ごめんね、気を使わせちゃって。葉矢君の方がずっと大変なはずなのに……」
実の妹のとはいえ、異性の体で生活するのは結構なストレスだ。しかし幸か不幸かその状態には慣れつつある。目下最大の懸案事項は、元の体に戻ったら一ヶ月前の藍香からの告白に答える約束をしている事だ。返答が遅れ続けると、勢いやタイミングが無くなっていってしまう。真矢の体で付き合う、というのは論外だ。なので、元に戻る事を焦っているのは事実だ。だが、その事で藍香を不安にさせてしまってはいけない。
「いや、藍さんが思ってる程じゃないさ。赤の他人と入れ替わったワケじゃないんだし」
軽い調子を装って葉矢は言う。それでも藍香は気が晴れていない様な表情だったが、葉矢の気遣いに応える為か、小さく微笑んで見せる。それを見て、葉矢も微笑む。ほのかにピンキーな空気が二人の間を流れた次の瞬間、何かの気配を感じ取った葉矢は藍香の肩越しに小川の方を見――
「すぷらぁっっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
葉矢の耳に奇怪な叫び声が入り、次の瞬間には大量の水が襲い掛かって来る。顔面に浴びせられた水の向こうに何かの影を見る葉矢。 葉矢の盾になる形でまともに背後から水を被った藍香は、何が起こったのかさえ分からず、ずぶ濡れになったまま突っ立っていた。
「……え?」
「藍さんっ!」
それを見て、葉矢は慌てて自分の着ていたセーラー服を脱ぎ、藍香に渡そうとする。
「オレの服の方がまだ濡れてないから、これ着てっ」
「えっ……でも……」
何やら藍香が戸惑っている内に、新たな衝撃が葉矢を襲う。
「道のど真ん中で脱いでんじゃなぁぁぁぁぁいっっ!!」
ドゲヴァァァァァッッッ
葉矢のこめかみに綺麗に入った飛び膝蹴りが、彼を五、六メートル程吹っ飛ばす。
「げぎゃんっっ!?」
吹っ飛ばされた葉矢は、ニ、三度バウンドした上にスライディングしてからやっと止まる。
その光景を見て、葉矢を蹴った少年は悲鳴を上げた。
「ちょっとぉぉっっ!? あたし(、、、)の体に傷付けないでって、何度言ったら分かんのぉっ!?」
「傷付けてんのはオメーだと、そっちこそ何度言われたら分かんだよっ、アホ真矢ぁぁぁぁぁっ!!」
ガバッと飛び起き、ヅカヅカと黒髪の男子中学生――真矢(体は葉矢)に詰め寄り、小声でそう叫ぶ葉矢。
「それからな、人前で女口調で喋んじゃねぇ。自分のこと『あたし』って呼ぶんじゃねぇ。オネエキャラだって思われるじゃねぇかっ」
辺りを見渡す葉矢。幸いにも暗くなってきている頃で、いつの間にか人通りも絶えていた。それを見て安堵する葉矢の胸倉を掴み、真矢は小声でまくし立てる。
「それはともかく服を着なさいっ。あたしの体なのよ? 減るのはあたしの体なのよ? とっとと着んかいボケェ……」
そう言いながら、真矢は自分が着ていた学ランを葉矢に着せる。
「ど突くこといつもの如し、吹っ飛ぶこと普段の如し、だねぇ」
暢気にそう言いながらやって来たのは、学生服にモノクル、といった奇妙な格好をした少年――久重
「だけど、そこに見える姿は常日頃の如し、じゃないねぇ。何(、)かな?」
「あっ、そうだっ。誰だよ、水ぶっかけてきたのっ!」
「何、だよぉ、葉矢。ヒトじゃない。現に町田さんにはあの叫び声が聞こえていなかったみたいだ。そうでしょ? 町田さん」
「……あ、うん……」
未だに李斗に慣れないのか、一瞬ビクッとしてから頷く藍香。
「って、オメーら、ヒトのこと勝手にじろじろ見てたのかよっ!?」
顔を赤くしながら詰問する葉矢。李斗と真矢は何ら悪びれる様子もなく首肯する。
「うん、ホントは一緒に帰りたかったんだよぉ〜」
「でも、なんかお邪魔しちゃ悪そうな感じだったからぁっ」
「不本意ながらコソコソ風味に離れて見ながら歩いてたんですぅ」
「けど、別に気配隠してたわけじゃないのにそれに気付かなかったってコトはぁ」
「すっごく夢中で話してたんだねぇ。文字通り水さされちゃって残念だねぇ」
交互にそう言い立てられ、更に顔を赤くする葉矢と藍香。
「うっ、うるさいなっ。出歯亀が偉そうに言ってんじゃねぇよっ」
『キャー、逆ギレヨー☆』
怒る葉矢におどける真矢と李斗。それをハラハラした表情で見ている藍香。紺に変わり行く世界に和やかな空気が流れたその時――
「無視はのぉぉぉぉぉぉんっ!」
じゃぴゃぴゃっ
再び叫び声と共に、前回よりは少量だが水が掛けられる。
『――!?』
ようやく第三者の存在を思い出し、身構える双子と李斗。その正体を見極めようと、幾重にも重なった紺色のベールの先の影を凝視するが、その影はヅカヅカと怒った様に歩きながら、そちらの方から姿を現した。
「何やの、自分らっ。こっちはさっきからずぅっとここにおんのに、無視かいっ。素で無視かいっ! 寂しかってんぞ! 無視される方の気持ち考えてみいっ。身も心も寒ぅなったわっ!」
そう声高に叫びながら姿を見せたのは、緑色の肌、子ども位の背丈、そして何より特徴的な頭の上の皿。つまり河童だった。
「ワシは裸やねんぞっ。確かにそれでもあんま寒かないけど、なんっちゅうかな、そうっ、現代っ子の冷たさ言うか、いけずさ言うか、とにかくなぁ……」
「うっさいわぁっ、ぼけぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ」
ぎゅぐわぁっっ!! ぶょぎゅんっっ、じゃぴょんっ……
葉矢の、下から伸び上がるような爪先蹴りが河童の下腹部に入り、河童は小川の横の塀に叩きつけられ、小川に落ちる。
「オメーが水掛けたせいでこっちもさみーんだよ! 風邪引いたらどうすんだっ!!」
藍香を指しながら葉矢は怒鳴った。一方、蹴り飛ばされた河童はというと、見事にぶっ飛んだ割にはダメージが少なかったらしく、じゃぴょじゅぴょと小川から出ると、べちべちと葉矢に詰め寄る。
「何やねんっ! いきなしカッパのこと蹴ったりしてっ! 逆ギレかっ!? 最近巷で流行ってるとかいう逆ギレくぁっ!?」
興奮のあまり手や頭をぶんぶん振る河童。お陰で葉矢の全身に水しぶきが降りかかる。しぶきのピチピチ感にイラッとさを覚えた葉矢が、今度こそ河童を叩きのめそうと攻撃に移ろうとしたその時、別の手が河童の頭を掴む。
「流行ってないっ、んなもん。それから何なの、その変な関西弁。あんたどうせ土着の物の怪でしょ? なら、京都弁使いなさいっ」
どことなく理不尽な事を言いながら、真矢は片手で河童の頭を締める。掴まれているのが顔の上方な為、口は自由な河童は反論する。
「仕方ないやん。ワシ、故郷におれんくなって関西中放浪しとって、最近ようやくここに落ち着けたんやから。自分らこそ代々続く退魔師の家系のくせして標準語かいな」
「へ?」
驚いた真矢は思わず手の力を緩める。
「あんた何であたしたちが退魔師の家系だって知ってんのよ?」
真矢の疑問に、河童はこめかみをさすりながら答えた。
「昨日あんたらが
「
先程蹴り飛ばされたばかりの葉矢はそう分析する。
「あんちゃん中身は女なん?」
真矢の方に視線を戻し、河童はそう問う。
「この体はそっちの可愛い女の子の中身のものよ。アイツと体と魂が入れ替わっちゃってこんなむさい体になっちゃったの」
「うわぁ、自分の容姿を可愛いと言い切ったねぇ……」
「しかも人の容姿をむさいって……」
李斗と葉矢が口々にそう突っ込む。
「そうなんや。自分らも大変やなぁ。けど、考えようによっては同じ年頃のオンナノコと体が入れ替わりやで? 今時のラブコメではありえへんくらい元祖ドッキドキィ☆ な展開やんか」
「双子の妹と体が入れ替わっても、嬉しくとも何ともねぇよ……」
李斗の学ランを剥ぎ取って藍香に着せながら葉矢は言った。
「んなことより、このままじゃ藍さん風邪引いちまうし早く帰っぞ」
「そうだね。あたしたちの家の方が近いし、取り敢えずそっちに行こう」
足早にその場を去ろうとする一行の後を、河童の声が必死に追いかける。
「あの〜。ワシ、自分らに頼みがあって会いに来てんけど……」
「知るかっ。退治を止めろってんなら無理だぞ。こっちだって口に入るもんがかかってんだ」
今度は体の方も追いすがりながら河童は更に食い下がる。
「いや、そんなんやない。話せば長なるけど……」
「あ〜、もうっ」
葉矢はイライラと頭を掻く。
「んじゃ、オレん家まで来て、そこで話せっ。言っとくけど、屋敷内は結界が張ってあるからオメーが下級のヤツだったら消滅するからなっ」
「心配御無用や。こう見えても中間管理職くらいの力はあんねん」
河童はそう言いながら、胸をポンと叩いて見せた。