1

「――ぶはぁ」
 すし詰めの人の群れから、息を吹き返すような吐息とともに僕は外へと足を踏み出した。
 大勢の人の流れの中、この時はむしろ突き刺すような冬の風も夏山の涼風のごとく感じる。
 相変わらず、満員電車は地獄だ。4両の電車から吐き出される人の波にうんざりしながら、僕はその流れに乗って歩き出す。
 ――しがない地方都市『松城市』。その北西を斜めに貫き、本線の松城駅から分岐して私立仲津原大学、及びその付属中高の側までまっすぐに伸びる『仲津原線』。ここでは、朝の通勤通学時間帯は単線4両の車両にこれでもかと学生が詰め込まれ、忙しげにピストン輸送を行なっている。
 僕、仲津原大学附属高校1年生、鷹月京太(たかつきけいた)も、そうして十把一絡げで運ばれる『学生』の一人で。
 こうして毎朝、哀れ布団圧縮袋に放り込まれた羽根布団の如き扱いを受けて機械的に輸送されるのである。
 ……何とかなんないのかね、これ。
 授業を受ける前から通学ラッシュで体力を持っていかれるのは勘弁してほしい。
 ……などと内心でボヤいても偉い人には届かない。生徒会さまが毎年頑張って抗議しているらしいがお偉いさん方からは梨の礫らしいし。
 非力な小市民はただルーチンに従って生きるのみ。ああ無情。
 などとつらつら考えている間に、半ば無意識に、ポケットに入れた財布を確認し、定期を改札にタッチして抜ける。
 さすがに附属中学から続いて4年目ともなれば、何を慌てることもなくスマートに抜けられる。
 1月ともなれば周りも一様に慣れたもので、人の流れはスムーズだ。
 ……また新学期になると新入生が財布や定期入れを落としたりカードを無くしたりの4月名物『改札詰まり』が起こるんだろうけど。
 さて。
 『仲津原駅』駅前は終点ということもありそれなりのスペースはあるものの、学生の波が押し寄せればあっという間に埋まってしまう。
 待ち合わせる場合、待つ側は駅から出る学生達の流れを避けて端の方で待ち、降りる側は降車のタイミングから一貫して計画的に流れに乗り所定の待ち合わせ場所に辿り着けるように動かねばならない。
 今現在僕がやるべき動きは、本来であれば後者である……のだが。
 ……さて、今日は“どっち”だ?
 朝は待ち合わせの戦場でもある。待ち合わせる人が多ければ特定の場所が確保できるとは限らない。
 待ち人が待つのは、“約束の場所”であるとは限らないのである。
 改札から出て右か左か。
 特になにもないのなら、いつもは右だが……
「せんぱいっ」
 駅の側、思った通り右手の自動販売機の脇で背伸びして手を振る彼女が居る場所こそ、その目的地。
「……ふぅ。おはよう」
 僕も慣れたもので、今朝もさして苦労なく彼女の場所まで辿りつけた。
「おはようございます。今朝もお疲れ様でした」
 応えるように挨拶を返すのは、附属中の制服を着た、僕より頭一つ分小さな少女。
 セミロングの髪を後ろで二つに縛った彼女は、早川由子(はやかわゆうこ)。仲津原附属中学の2年生。付属高校の僕とは学校をまたいだ後輩だ。
「毎朝毎朝嫌んなるねこれは。で……今日も待ってたのか、寒いだろ」
「いえ、たまたまですから。たまたま」
 こういうとき、由子は決まってこう口にする。たまたま時間が合ったから、と。
 他市から通う俺と違い、松城市出身の彼女は自宅通学のはずで、駅前にはいないはず、なのだが。
 出会ってからどれくらいか経って――いつの日からか、こうやって「たまたま」駅前で出会うようになり。
 ――そして、今はもう日課のようになった暗黙の待ち合わせ。
 だけれども、由子は今でも変わらず「たまたま」だと言って。
「たまたま、なぁ……ま、いいけどな。風邪ひくなよ?」
「これくらいへっちゃらです。マフラーしてると温かいですし」
 意外とぬくぬくですよ、と笑いながら左手で自分の首元に手を当てる由子。
「ならいいんだけどな」
 そう答えながら、僕は少しばかりそのマフラーが気になった。
 これまでとデザインが違うような……そして編み目が荒くなったような。
 新しいものでも買ったんだろうか。心なしか機嫌もよさそうだし。
「……あ、あの。先輩は寒くありません?」
 聞いてみようか――と思ったら先に由子からの問いかけ。
 なんてことはない問いだったので、
「ん、今は別に。満員電車が地獄のような暑さだったからな」
 と正直に答えたところ、
「あぅ、そ……そうですか」
 何故か由子がしょんぼりしてしまっていた。
「? ……えっと?」
「いや……あの…………なんでもない、です」
 問いかけようとすると、ごまかすような苦笑い。
 これは――多分、いや間違い無く僕は地雷を踏んだ。のだと思う。
 が。
 ……何かマズイこと言ったんだろうか。
 今、僕は今寒くないって言っただけなんだが、ひょっとして由子にとって寒かったほうが良かったのか?
 ということはつまり、 
 ……僕が凍えてなくてがっかりされた?
 地味に鬼畜かこの子は――っていや流石にそんなわけはないだろう。
「えっと。せんぱい……その」
「ああ」
「寒いのは苦手……ですか?」
「ん? あー……」
 寒いのは苦手か? と言う問い。現実は別にそうでもないが、
「……まあ苦手……か?」
 さっきの失敗もあり、とりあえず誘導尋問らしきものに乗ってみる。
 すると、小さくガッツポーズっぽく手を握る由子。どうやらこれでよかったらしい。
 それから、少しばかり間が開いて、
「あ、あの、じゃあっ……」
「うん」
「……その、先輩さえ良かったら、ですけど」
「うん」
 何だか言いづらそうにしているけれど、嫌な感じはしない。
 どちらかと言うと恥ずかしそうにしているような。
 ……そこまできて、ようやく僕は理解する。
 多分これは、大切なことだ。
 由子が僕になにか伝えたい大切なことがあるのだと。
「だから、その……」
 小さく消えてしまいそうなその言葉が雑踏に紛れないように、聞き逃さないように真剣に向き合って――
「……私、マフ――」
「よっすケータ! ユコちゃんも」
 由子の言葉が、本題に触れかけた最悪のタイミングで声をかけてきたのは、吉峰直也(よしみねなおや)
 僕の付属中学時代からの腐れ縁の友人。
 ……いや、この場においては最悪のエアークラッシャーというか、
「お前いっぺん死なす」
「っておいどうしたケータ。いつになく物騒な」
 せっかく由子が頑張って何か言おうとしてたのに台無しだよ。
 ……と、由子の前で言うと色々と気を使わせてしまうので心の内に仕舞っておくが。
 ふと由子の方を見ると、ふるふる、と小さく首と手を振っている。多分それは、もういいです、の合図で。
 ……はぁ。
 せっかく由子が頑張っていたのに、と思うもそれはもう詮なき事で。
「なんでもない。行こう」
 とりあえずこの話はなかったことに。また機会があれば由子には聞いてみよう。
 そんなこんなで、僕たちは通学路を三人並んで歩き出した。
 多少時間が開いたからか、駅前は大きな人の波が過ぎ去り、大分と歩きやすくなっていた。

 *

 学校への通学路は、中学高校が近くにあるため、あまりあからさまな遊戯施設はないものの、学生街らしい店が揃っている。
 左右に本屋、ケータイショップ、居酒屋、などなど。
 大学自体は古くからあったためか、個人経営の小さな店などが比較的多く、建て込んでいるためか通学路も割合狭い。
 そこに大学、高校、中学の三校の学生達が津波のごとく押し寄せる朝は、局地的に都会に劣らない人混みとなる。
 今は、前の電車が到着してから多少時間が開いたので混雑は緩和されているものの、
「今日もうんざりするほどの人だかりで……ってか毎度毎度お前らこの人ゴミの中よくそんな速攻で会えるよな」
「由子がいつも見つけてくれるんだ。何故か」
 待ち合わせ場所はそれとなく決まっているにもかかわらず、毎度どういうわけか人混みの中に居る僕に由子が声をかける方が早い。
 何とか先手を打とうとそれとなく頑張っていたが、あまりの連敗続きにとうとう諦めたという経緯があったり。
「へぇ。ユコちゃん、背ぇ低いのにスゴイねぇ」
「いえ。鷹月センパイは、見つけやすいので、たまたまで……」
「なるほど。爽やかな朝に陰気オーラで一撃発見ってか」
「誰が陰気オーラだ誰が」
「はははっ。朝からそんな腐った魚みたいな目ができる高1男子はそうはいねぇよ」
「腐った……」
「わ、私はそうやって、いつも世の中の空気に染まらないセンパイを尊敬してますからっ」
「……フォローありがとな……」
 でもそれはただの追撃です。
「ま、陰気野郎は置いといて。今日もよく冷えるなぁ……今日も暖房入ったらぐっすり眠れそうだ」
「……お前いつも寝てるけどテスト大丈夫なのかよ。もうすぐ学年末だろうに」
「全く問題アリだな」
「アリなんですか……」
「はっはっはユコちゃん。赤点常習犯をナメない方がいい。学年末で挽回できなきゃ地獄の春休みが待っている」
「高校は赤点、大変なんですね……」
「さすがに笑い事じゃねーだろ……ここまで大変なのはレアケースだけどな」
「ユコちゃんも、こんな高校生になっちゃダメだぜ☆」
 妙なピースを決めてウィンク。対して「えっと……」と微妙極まりない表情の由子。
「由子がドン引きしてるぞ」
「ドン引きされてもいい。俺はただ、君の心の中に小さな何か残せれば満足なのさ……」
「キモ顔でウィンクの映像が心に染み付いて離れんとかどんな罰ゲームだよ」
「はぁはぁ……ユコたん、おいちゃんとええことせんか……」
「へぅっ!?」
「……毎度思うがお前はどこでそんな芸風を仕入れてくるんだ」
 由子も怖がっているし、一発入れようか、と思った矢先。
「こんのダァホー!!」
 馴染みの声とともに、質量弾が飛んできた。
 風切り音とともに僕の至近を掠めたのは学生カバン。
「ぷげるぐっ!?」
 直後にカエルを潰したような変な鳴き声を発して直也がすっ転んだ。
 次いで駆け寄ってくるのはカバンをぶん投げた本人。つまり、
「先輩は何でそう毎度毎度ゆこにちょっかいかけるんですか!?」
 霧生史香(きりゅうふみか)。仲津原附属中学2年。由子とは同じクラスの親友であり、直也の“宿敵”である。
「……ふ、ユコちゃんが可愛いからな。ちょっとした紳士の嗜みさ」
「そんな紳士は滅びてしまえ!」
「紳士は滅びぬ。何度でもよみがえるさ!」
「……やっぱり今ここで完膚なきまでに捻り潰すべきかしら……」
 ジト目でそう言う史香に、由子も慣れたもので、
「あんまり過激なのはだめだよー、ふみちゃん」
 転がった史香のカバンを拾い、苦笑いのまま手渡す。


 ……僕ら四人のこの関係のはじまりは、今から二年前。

 僕と直也が、まだ仲津原の付属中学生だった頃。
 ゲーセン遊びを覚えた直也は、主に格ゲーでメキメキその道での腕を上げ、地域では負けなしのちょっとした達人クラスにまでなっていた。
 そんなものだから、「もっと強ぇえ奴と戦いたい」と道場破り的なゲーセン巡りを始め。
「伸びきったアンタのその鼻っ柱、あたしがへし折ってあげるわよ!」
 中2の夏休み。5番目にたどり着いたゲーセンに居たのが、当時小学6年生の史香だった。
 彼女もまた、そのゲーセン最強の名を手にしていた豪の者。
 店長の姪っ子らしく、その腕も相まって常連客からも大事にされていた、正に『お姫様』だった。
 で、その頂上対決は、相当な死闘の末――本当に僅差で直也が勝利。
 手を変えゲームを変え、あの手この手で戦うも、やはり僅差で直也が勝ち、

 ……以来、二年たった今も、こうして史香と直也は宿敵であり、

「ふ……ゲームで勝てないからってリアルファイトで襲うのはどうかと思――ゲブフォ!?」
「うっさい! ゲーム関係なく先輩がゆこに変なことするからでしょーが!!」
「二人とも、仲いいですよね」
「ホントにな」
 その親友(由子)悪友()は、それとなく距離を取りつつも微笑ましげに二人のことを眺めているのである。