第三章

――先日――
 サクラは俺の隣に座って静かに喋り始めた。
「『半吸血鬼(私たち)』は長くは生きられないの……」
「え?」
 サクラが話した内容に俺は耳を疑った。
「それってどういうことだ?」
 サクラは俺がどう聞いてくるのか理解していたようで目を瞑って穏やかな口調でゆっくりと喋り始める。
「私たちは一言でいうなら――ただの出来損ないだよ。本物の吸血鬼になり損ねた哀れな存在……」
 サクラがそう言った瞬間、俺はあることを思い出していた。
 そう、先日の戦いで、俺たちが倒した吸血鬼も似たようなことを言っていたのだ。
 確か――吸血鬼と言える存在は二人しかいない――とか。
 その話と関係があるのか?
 俺は意を決して、サクラの両肩を掴んだ。
「シ、シグレ……?」
「教えてくれ。サクラ……お前は何を知っているんだ?」
 俺の瞳を見つめるサクラは、真剣で、いつものおっとりした雰囲気が一切見られない。
 そして、小さなため息を吐くと、
「わかってるよ。シグレ……私も全部教えるつもりで、シグレをここに呼んだんだから」
 サクラは俺の手を退かし、服を整えると、瞳を赤くさせて、俺の瞳を見つめてきた。
「サ、サクラ……?」
 どうしていきなり吸血鬼の力を解き放ったのか理解できず、俺はただ、サクラを見つめることしか出来なかった。
 殺意以外の感情を全て押し殺したような瞳に射抜かれ、気が付くと俺は、汗を流し、何かを求めるように自分の唾を飲み込んでいた。
 周りの空気がサクラに浸食されていくかのように生気を無くしていく。
 その中で、自分の存在を確かめるように俺は強く拳を握った。
「シグレ……」
 静寂を打ち壊すかのように、感情のない声が俺の耳に入ってくる。
 俺は何も言うことが出来ずに、ただサクラを見つめることしか出来なかった。
「今、私が何を考えているかわかる?」
 何を……
 俺はサクラの意図が理解できずに聞き返そうとした。
 だが――
 気付いてしまった。
 サクラは俺の目を見ていない。見ているのは……首筋――
「お、お前……まさか……」
 枯れた喉で出した声は、自分の物だとは思えないほど、掠れていた。
 サクラは妖艶な笑みを顔に貼り付け、
「そうだよ。私はシグレの血が欲しい。身を焦がすほどに求めているの……生きた人間の血を」
 ドッと汗が吹き出し、呼吸が荒い。
 これ以上ここにいるなと体が叫んでいる。
 だが……それでも――
 俺は既に知ってしまっているんだ。


 人間の中で生きることが地獄だと最後に吸血鬼に言ったサクラの声を――顔を――


 だから俺は聞かなくちゃいけないんだ。
 サクラの抱える闇を――
「ど、どうして……?」
 サクラは憎々しげに、眉を歪め、俺から顔を背ける。
「私たち『半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)』には血の呪縛があるの。その血の呪縛は単純明快――人間の血を求めること。そうしなければ、吸血鬼の血が暴走して死に至るから……」
 言葉が無かった。
 だから、突然、『半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)』が人を襲うことがあったのか。
 一呼吸おいて、サクラは再び喋り始めた。
「半吸血鬼っていうのは、今まで一度も人間の血を吸わなかった吸血鬼がそう呼ばれているだけで、吸血鬼と大差ないよ。そして、本来、私たちが持っている人間としての血が無くなっていくことに恐怖して、血を吸い始めた者が吸血鬼と呼ばれているの」
 それじゃあ、サクラは体内に流れる人間の血が無くなると死ぬってことか?
 そして、それを免れる為に、人間の血を求める。
 そんなのってアリかよ……!
 理不尽すぎる!!
「私たちの血はね。時と共に穏やかになくなっていくの。けどね、戦闘に力を使うことで、急速に血の消滅は速まる。私が生きていられるのは後、半年が限度だね……」
 その言葉を聞いた途端、目の前が真っ暗になった。
 半年――それだけの時間しか生きられないとサクラは言っているのだ。
 だけど――
「俺の血を――」
 飲めば生き永らえるんじゃないのか?
 そう言いかけた瞬間、鋭い視線が突き刺さる。
 有無を言わせない迫力に、俺は言葉を繋げることが出来なかった。
「シグレ、悪いけど、私は他人の血を飲んで生き残ることはしないよ。どんなに体が血を求めても決して……だから、もし、私が血の呪縛に呑み込まれそうになったら――」

 私を殺して――

 最後にサクラはそう言い残し、話を終えたのだった。

   *

 あの時、俺はサクラに返事を返すことが出来なかった。
 今でも俺はその答えを持っていない。
 だから俺はその時が来ればどうすればいいのか明確な考えを持ってはいなかった。
 だから俺は今回の任務ではサクラが極力、能力の使用を抑えられるようにサクラを前線から離した。
 少しでも長くサクラに生きていてほしいから―――



 今は考えても、きっと納得の出来る答えは見つからない。
 俺は一旦、サクラのことを頭の隅に置き、任務に集中した。
 スコープから潜伏地点を眺めながら、アイシスの出現を待つ。
 雪の重みと寒さで、どうにかなってしまいそうな頃、ようやく今回の標的が姿を現した。
 長い銀髪の髪に黒いドレスのような服を着た少女――アイシス
 俺はライフルの照準をアイシスの眉間に定め、引き金を引く準備をする。
(あいつはまだ俺には気付いていない。確実に仕留められる距離までひきつける!)
 そう考え、俺はアイシスがライフルの射程距離に入った瞬間、引き金を引いた――
 ――バスッ。
 薬莢(やっきょう)が俺のすぐ側に落ちるのと同時に『銀の弾丸(シルバーブレット)』がアイシスの眉間を正確に捉えた。
「やったか!?」
 俺は遠くで崩れ落ちるアイシスを見ながらそう叫んでいた――




『――確かに、当たっていれば、私を殺せていたかもしれないわね』
 不意に、俺の耳元に、誰かの呟き声が入ってきた。
 その言葉の一つ、一つが俺の命を舐めまわすように、スルリと俺の恐怖心に入り込んでくる。
 振り返るな――
 そのまま逃げろ――
 頭では必死になって体を動かそうとするが、肝心の体が言うことを聞かない。
 雪を踏みつける音が徐々に近づき――
 そして消えた。
 途轍もない殺気が足音と共に消えたのだ。
 俺は、全身から汗を吹きだしながら、振り返る。
 視界に入ったのは……クロ――
 視界一面を覆い隠すように、黒いドレスが俺の目の前に広がる。
 そして――
 ドスッ――
 鈍い音と共に体が揺れた。
 何だろう? 肩に違和感が……
 俺は、ゆっくりと視線を肩に移動する。
 そして見た。

 俺の肩に、ニンゲンノテガハエテイル――

「――――」
 空を裂くような甲高い悲鳴が俺の喉から漏れ出す。
 自分の声とは思えないほど、大きな声が、白銀の世界に木霊する。
 そして、黒いドレスを着た少女は俺の肩から手を引き抜く。
 白銀の世界が血の飛沫で赤に染まる。
 真っ白な肌が、俺の血に塗れた少女は、表情を一切変えず、俺の血を払うように手を振るう。
 少女の腕は、氷に覆われ、血に塗れた鋭い氷が俺の眼前に突きつけられる。
 ……間違いない。こいつが……アイシスだ!
 俺は、肩の傷を押さえながら、眼前に現れたアイシスを睨みつける。
 アイシスは俺を一瞥すると、クスクスと笑いながら、手を口に当てる。
「あなた、なかなかの腕前ね。こんな遠くから私を狙撃できるなんて――まぁ、当たったとしても問題はなかったのだけれど」
 興味が無くなったという顔で、俺の喉元から、氷の腕をどけ、纏った氷を解除するアイシス。
 俺は、激痛に唇を噛みながら立ち上がり、アイシスに拳銃を突きつける。
「お前、どうして……!」
 俺の銃弾は確かにアイシスの眉間を捉えていた。
 なのに、どうしてこいつはここにいるんだ。
「簡単なことよ。『偽りの氷像(アイス・ライヤー)
 アイシスの言霊と共に、虚空に幾重もの氷が集まり、甲高い音と共に砕け散る。
 そして、本人と全く同じ姿をした氷の彫刻が俺の前に姿を現した。
「私を追ってきた人間がいることは知っていたから囮として動かしていただけのことよ」
 アイシスは氷の彫刻を一本の装飾の施された剣に変え、手に携える。
 アイシスは周りを見渡すと――
「気配的には複数の人間を感じたけれど……アイツでは無かったのね――」
 小さく舌打ちをしたアイシスは何かを探すように俺の周りを歩き始める。
 俺は心の中で安堵のため息をつきながら、銃口をアイシスから離さないように体を動かす。
 よかった。サクラの存在はまだアイシスには知られていない。
 アイシスは俺に視線を向けると、落胆した表情で、
「いつまで、その玩具を向けているの? 残念だけど、私は貴方に用はないの。今なら見逃してあげるから、早く立ち去りなさい」
 そう話しかけるアイシス。だが、
「アンタに用はなくても、俺の方はアンタに用があるんだよ!」
 俺は指を引き金にかけて、アイシスを睨みつける。
 アイシスは「どうしてこう、バカばっかりなのかしら」と呟き、自ら、銃口の前に立ち塞がった。
「そう。なら、ためしに撃ってみなさい。貴方自身の愚かさを身をもって知ることになるわよ」
 アイシスは俺の銃に手を添え、胸に銃口を押し当てる。
 バカにしているのか?
 だったら引いてやるよ!
「死んで後悔すんなよ!!」
 俺は、そう叫ぶと同時に、銃の引き金を引いた。


 だが、
「――何っ!」
 銃の引き金を引こうとした瞬間、あまりの固さに、引き金を引くことが出来なかった。
(しまった。銃を凍らされた!!)
「理解出来たかしら?」
 アイシスは俺が銃の異変に気付いた瞬間、ゆっくりと、添えるように手を俺の左腿に置いてきた。
 僅かに、アイシスの手の冷たさを感じた瞬間、
「がぁぁ――」
 左足に強烈な痛みが走り、俺は倒れるように片膝をついた。
「足一本麻痺させたくらいで大げさね」
 そう言いながら、アイシスは左手に携えた氷の剣を大きく振りかぶり、俺の首を斬り落とそうと剣を振り下ろす。
 俺はとっさに右肩に背負っていた長剣『聖なる純銀(セイクリッド・シルバー)』を左手で引き抜き、アイシスの氷剣を弾き返す。
 甲高い音と共に、俺は飛びのくようにアイシスから距離を離す。
「はぁ、はぁ――!」
 俺は肩で息をしながら、『聖なる純銀(セイクリッド・シルバー)』を構え直す。
 唇を噛みしめながら、アイシスを鋭く睨みつける。
 こんなにも吸血鬼との近接戦闘がきついとは思わなかった。
 サクラはいつも、この動きに対応してきたのかよ。
 ここにきて初めて俺は吸血鬼と対峙する真の恐怖を身に染みて感じていた。
 ただの人間では決して勝つことが出来ない。
 俺は、たった一回の接触で、骨の髄までその真実をアイシスから叩きこまれた。
「なかなか、粘るわね。けど、私も暇じゃないの。探し出さなきゃならないヤツがいるから――」
 アイシスは右手にもう一本、氷の剣を携えると、二刀を構える。
「次で終りにするわ」
 アイシスは殺気を放ち、構えた二刀を逆手に持ち替え、雪の地面を強く蹴る。
 粉雪を背後に近づいてくるアイシスに、俺は舌打ちをしながら、『聖なる純銀(セイクリッド・シルバー)』を構える。
「くそ!」
 近づいてくるアイシスに対して、剣を振り下ろす瞬間、
「言ったでしょう? 次で終りにするって――」
 目に捉えることの出来ない速度で、無数のアイシスの斬撃が、俺の全身を斬りつけた。
「ぐぁぁ!」
 全身を襲う激痛に声をあげながら、その場に崩れ落ちる俺を、アイシスは感情のない瞳で見据えてきた。
「安心して、殺しはしないわ」
 アイシスは氷剣についた血を降り落とし、俺に背を向けてゆっくりと歩きだした。
 立ち去ろうとするアイシスに、俺は体を引きずりながら、必死になって手を伸ばす。
 だが、アイシスは俺に目も向けずに、激しい冷気をぶつけ俺を吹き飛ばす。
「がぁぁ!」
 降り積もった雪に体を叩きつけられ、激痛に悶える俺を背に、戦意を完全に無くしたアイシスは、瞳を閉じて、白い息を吐き出す。
「さようなら」
 次の瞬間、アイシスは背中から氷の翼を生やし、その場を離れようと、宙に舞いあがる。
(チャンスは今しかない!)
 アイシスが最も油断している今が、最初で最後の最大の隙だ。
「今だ。サクラ――!」
 俺は天空に向けて彼女の名を叫んだ――

   *

「ちゃんと聞こえたよ。シグレの声――」
 遥か上空にいたサクラの瞳には今までの戦況がすべて見えていた。
 そしてサクラ自身にも今この瞬間が絶好のチャンスであることを理解していた。
「本当にシグレは無茶するんだから。ただでさえ短い寿命が縮みそうだよ」
 サクラはそう言いながら右手に持っていた『銀の十字(クロスシルバー)』に巨大な風を纏わせる。
「シグレ、今助けるから――っ!」
 サクラは全身のバネを使って一つの大きな風の塊と化した『銀の十字(クロスシルバー)』を投擲(とうてき)した――


「? 突然、何を言ったかと思えば……」
 突然空に向かって叫んだ俺をアイシスは不思議そうに見つめていた。
「他に誰かいるのかしら?」
 そう言って空を見上げたアイシスの表情から余裕が消える。
 アイシスめがけて一筋の銀色の閃光が凄まじい勢いで向かってきていたからだ。
 アイシスはすぐに氷の剣を創りだし、『銀の十字(クロスシルバー)』を迎えうつ。
 二つの剣が交わった瞬間、全身に衝撃が走る。
 激しい衝撃と共に、大気が震え、俺は、転がるように体を吹き飛ばされながら、アイシスを見つめる。
 強大な風を纏ったサクラの『銀の十字(クロスシルバー)』がアイシスの氷剣を砕き、アイシスを両断する瞬間を確かに捉えていた。