第二章

 長い廊下を歩き、俺は今、一つの扉の前に立っていた。
 ここは『吸血狩り』の本部にある俺たちの居住施設の一角だ。
 俺は少し緊張しながら、目の前にある扉に手をかける。
「サクラ、俺だ。一体なんのよう――」
 俺はサクラの部屋に足を踏み入れた瞬間、思わず口を濁してしまった。
 サクラの部屋(女の子の部屋)に足を踏み入れることに緊張したのではない。
 サクラの部屋があまりにも散らかっていたからだ。
「あっ、シグレ来てくれたんだ」
 ヒョコッとソファーの上から顔を出してきたサクラ。
 恥ずかしそうにしながらも、俺を迎えにこようと、器用にゴミを避けながら近づいてくる。
 俺が来るとわかっているなら、後片付けくらいしておいてほしいところなんだが……
 思わず出てしまいそうな本音を押し殺し、きっと忙しかったんだろう。と勝手に思い込み、サクラが迎えに来るのを待つことにする。
 そして、この部屋の住人は何食わぬ顔で俺を出迎えに来た。
「急に呼んでゴメンね。ちょっとシグレとお話しがしたくて……」
「それはいいんだが、サクラ……この部屋は?」
「? 何かおかしい?」
 あろうことかサクラは平然と答えた。
 そうか。サクラにとって、この部屋がいつも通りの姿というわけか――
 なら、俺が最初にやることは一つだろう。
 俺はサクラの横を通り過ぎ、床に投げ捨ててあった紙屑に手を伸ばす。
 俺の行為をキョトンと見つめているサクラ。
 そして、
「シグレ、何してるの?」
 その行為を理解出来ないといった口調で尋ねてきたので、
「……掃除だ」
 ぶっきらぼうにそう答えて、サクラの横で淡々と掃除を始めたのだった。

   *

「ゴメンね。わざわざ掃除なんてさせちゃって」
 サクラの部屋の掃除を始めて一時間弱、ようやく俺たちは腰を落ち着けることが出来た。
 さ、さすがに疲れたな……
 なにせ、あの状態から、人、二人が座れるスペースを確保できたのだ。
 それなりに褒めてくれてもいいものを、サクラは何食わぬ顔で俺の隣で座ってやがる。
 ……これは説教が必要だな。
「それはいいんだが、今度からは一人でしろよ」
 俺がそういうとサクラは顔を赤面させて、
「違うよ。いつもはちゃんときれいだよ。ただ、今日はたまたま散らかっていただけで……」
 慌てたように早口に喋り出した。
 いや、あれは明らかに普段から掃除している部屋の姿じゃなかったぞ。
 そんな本音が喉元まで出かかったが、何とかこらえて俺はサクラの発言を受け流すことにした。
 家事全般に関してはどうやら(別の意味で)サクラの右に出るものはこの組織の中でいないだろう。
 いや、いないでくれるとありがたい。



 けど、今日のサクラを見てあらためてわかったことがある。
 戦闘では圧倒的な強さを誇る『半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)』だが、それ以外だとこんなにも人間らしい側面があるんだな。
 まぁ、もともと俺と同じ人間なんだから、当たり前か……
 綺麗になった部屋を見渡すと、ところどころにぬいぐるみが鎮座していた。
 サクラの趣味だろうか……可愛らしいところあるじゃねぇか。
 それに――
 俺は机の隅に目を向ける。
 その机だけは手入れがされていてほとんど手を付けなかったが、
「サクラ、この写真は?」
 机の上には写真立てがおいてあったのだ。
 幼いサクラと彼女を取り巻く笑顔――
 何というか……穏やかな風景だ。
 サクラは机に置いてあった写真を見ると懐かしそうな表情をした。
「ああ、その写真は――」

 ――私の家族の写真だよ

 聞いた瞬間、しまったと思った。
 机の上に置いてある写真に幼いサクラが写っているのだから、簡単に予想できたはずだ。
 なのに、俺は……
「その、悪い」
「いいよ。みんながここにいなくても、私の心の中にはいつづけてくれるから」
 サクラはそう告げると立ち上がり、机においてあった写真を俺から見えない位置に向きを変えた。
 やはり、当時の記憶を思い出すのだろうか……
 サクラの瞳に溜まった涙が、どうしようもなく俺の胸を締め付ける。



 サクラは振り返るといつもの明るい表情で俺の横に腰を下ろした。
「ところでさ、シグレをここに呼んだ理由だけど」
「ああ、そういえば何か大切な用事があるんだろう?」
 そう、今日、俺はサクラに呼ばれてここに来たのだ。
 どうしても伝えておきたい用事があると俺の部屋に電話してきたのだ。
「それで? 伝えておきたいことってなんだよ」
 サクラは少し顔を曇らせて、意を決したように口を開く。
「……シグレはさ、私のこと、どれだけ知ってる?」
 サクラのこと? どういうことだ?
 わけが分からず、思わず首を傾ける。
「サクラ、お前何言って――」
 サクラは俺が喋り終える前に声をあげた。
「その……私の体のことだよ」
 サクラの体?
 俺はサクラが『半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)』ということしか知らないぞ。
「いや、たぶん知らないな」
 だから俺はそう答えることしか出来なかった。
「たぶんそうだと思ってたよ。でもね、前回の戦闘で、シグレに隠し通すことは無理なんじゃないかなって……だからね、話そうと思うんだ。私たちの血の呪縛を――」
 そう言ってサクラは『半吸血鬼(血の呪縛)』を俺に教えてくれた――

   *

 私はこの体になって、初めて私を理解してくれようとしてくれる人に出会うことが出来た。
 だから、私は彼にちゃんと話さないといけないのかもしれない。
 取り返しがつかないことになる前に――


 だからね、シグレ……
 ――もし、どうしようもなくなったら私を……

   *

 サクラに別れを告げて、俺は自室に向かっていた。
 サクラの話を聞いて、俺には考える時間が必要だった。
 俺という存在がサクラにとって、どれだけのものだったのか――
 俺はサクラの想いに応えることが出来るのだろうか――
 それほどまでにさっきの話が俺の肩に重くのしかかってきたのだ。
 結局、答えを出すことが出来ないまま俺は自分の部屋の扉を開けた。
「ただいま」
「おう、お帰り」
 俺はルームメイトであるリオンに適当に挨拶をすませ、そのままベッドの上に身を投げる。
 いつもと違う行動をとった俺をリオンが不思議そうな目で見つめてきた。
「どうしたシグレ? てっきり、そのまま鍛錬施設に向かうものだと思っていたが、今日の鍛錬は終わったのか?」
 俺は仰向けになって横目でリオンのことを見つめる。
「知ってるだろ? いつも俺がノルマ以上に鍛錬していることを」
「ああ、『半吸血鬼(バケモノ)』に遅れをとらないようにするためだろ? だから聞いてるんじゃねーか。今日はもうやらないのか?」
「っ! サクラはバケモノなんかじゃねぇ!」
 俺はリオンが何気なく言った『半吸血鬼(バケモノ)』という言葉に異様に腹がたって思わず声をあげてしまった。
 いつもの俺らしからぬ態度に驚いたのか、リオンはただ一言「悪かったよ」と告げると、一枚の封筒を俺の机に乗せ、部屋から出て行った。
「次の任務か――」
 俺は重たく感じる体を起こし、机の上に置いてあった封筒を開け、次に行う任務の内容に目を通し始めた。

   *

「へくちっ」
 隣で可愛らしいくしゃみが聞こえてきた。
 俺たちの今回の任務は、あらかじめ、寒冷地帯で行うとサクラに伝えておいたはずだが――
 なぜか、サクラはいつもの薄着の戦闘服で来ていたのだ――
「おい、サクラ……どうして上着とか着てこなかったんだ?」
 俺は至極当然の疑問をサクラに投げかける。
「だ、だって、こんな寒いとは思わなかったし、そ、それに……戦闘の最中に分厚い服きてたら邪魔だと思ったんだもん」
「だからってお前なぁ」
 俺はあきれた表情でサクラを見つめる。
 サクラは腕を組み、必死に寒さをこらえようとしているようだった。
 だが、この寒さじゃ、体丸めても意味ないだろう……
「へくちっ」
 ほら、やっぱり。
 また、くしゃみをあげたサクラを見ていると、どうしようもなく哀れで仕方ない――
 バサッ――
 俺は羽織っていたコートを脱ぎサクラに手渡した。
「シグレ、これ……」
 サクラは驚いた表情で俺のことを見つめてくる。
 確かに、サクラが驚くのも無理がないだろう。今までの俺たちの関係なら絶対に起こりえないからな。
 けど、俺はサクラの本当のパートナーになることを決めたんだ。だからこれぐらいは当たり前の事だろ。
「寒いだろ? それでも羽織ってろ」
 俺は視線を逸らし、ぶっきらぼうに告げると、
「シグレ……」
 サクラは顔を赤らめて、コートを羽織った。
「それじゃ、行くぞ」
 それを見届けた俺は若干、顔を赤く染めながら、降り積もった雪を踏みしめた。

   *

「そういえばシグレ、今回の吸血鬼は名前があるんだよね?」
 サクラは雪道を歩きながら俺にそう尋ねてきた。
「ああ、『アイシス』っていう名前の吸血鬼らしい。なんでも……かなり古くから確認されている吸血鬼らしいな。事前の調査によると、世界中を転々としていて、あと『能力持ち(アビリティタイプ)』ってことだな。実際にその能力を目にした調査員によると冷気を使うみたいだ」
 俺は資料の中のアイシスの写真に目を通す。
 黒いドレスを着た白銀の女の子。
 見た目はサクラより幼い感じなんだけどな。
「冷気ってことは……ここの地形は私たちにとって不利だね」
「確かにな……ここは寒冷地帯……しかも雪まで降ってやがる。アイシスにとっては絶好のコンディションだろうな」
 だからと言って負けるわけにはいかないんだが――
 俺は重たい口を開け、サクラに今回の作戦を説明することにした。
「サクラ、今回の作戦だが――お前は前線に出てくるな」
 サクラはその言葉を聞いた途端、目を丸くして俺を見つめた。
 冗談でも言ってるの? と言いたい表情だが、残念ながら冗談ではない。
 冗談では無いことをサクラは理解したのか、徐々に肩を震わせて、驚くような表情で俺を見つめ直す。
 それもそうだろ――サクラを抜いて、ただの人間である俺が先攻するということは自殺行為以外のなにものでもないからな。
「何言ってるの? そんなのダメに決まってる!」
 サクラがこう言うのも分かりきってはいたことだが、ここまできつく言われるとは思わなかった。
 だが、わかってほしい。こうするのが一番なんだ。
「どうして? 私が戦った方がいいに決まってる。――もしかしてシグレ、あのことを気にしてるの?」
 サクラは急に何かに気付いたように俺に話しかけてきた。
 確かに、サクラの体のことも理由の一つだ。
 だから、俺は隠さずにサクラにそのことを伝えることにした。
「――ああ、その通りだ」
 サクラは目に涙を溜めて、俺に抱きついてくる。
「私はまだしばらく大丈夫だよ! まだ平気だよ! それでもシグレは私に戦うなって?」
 サクラは声をあげて叫ぶ。
 サクラから戦いを奪うということは、サクラの存在意義を奪うことに等しいかもしれない。
 だから俺は――
「何も戦うなとは言わなねぇよ。言っただろ? これは作戦だって。確かにサクラのことを聞いて驚きはしたが、お前の力を最大限に生かすには俺が前線にたった方がいいだけだ」
 サクラはおもむろに顔をあげて尋ねてきた。
「そのシグレの作戦ってなんなの?」
「ああ、それはな――」
 俺は小さな嘘を交えながらサクラに説明を始めた――

   *

「それじゃシグレ、くれぐれも気を付けてね」
 小高い丘の上でサクラは心配そうな視線で俺を見つめてきた。
 さっきから何度も同じセリフを聞いてるような気がするんだが……そんなに俺は信用がないのか。
 あまりにも俺のことを心配するサクラを見て、胸が痛くなる。
 まぁ、サクラが心配するのも無理はないが……
 それでも俺は、目の前の女の子を救う為に、彼女の力を借りるわけにはいかない。
 俺は……サクラを死なせたくないんだ。
 だから、俺は彼女を守る。
「大丈夫だ、サクラ。そんなに心配するな。俺たちはパートナーだろ? ならもうちょっとお互いを信じようぜ」
 彼女の不安を取り除くように、言葉をかけたつもりだったが、サクラは今にも泣きそうな表情で顔を伏せる。
「……わかったよ、シグレ」
 サクラは自分に言い聞かせるように体を抱きかかえながら、やっとのことでそう口にした。
 俺の言葉を信じ、自分に言い聞かせることで、何とか心に折り合いをつけてもらえたようだ。



 俺から目を離し、背を向けるサクラ。
 サクラは目を瞑り、大きく深呼吸をしている。
 始まるのか……
 俺がそう思った時、既にサクラは変貌していた。
 再び目を開けた時、瞳の色が再び真紅に変わり、口から牙を覗かせている。
 吸血鬼の力を解き放った姿――
 だが、不思議なものだ。
 以前はあれほど恐怖を覚えていた姿だというのに、今はその恐怖心が無い。
 それどころか、その姿が美しいとさえ、思えてしまうのだ。
 俺が心の変化に戸惑っていると、不意にサクラが振り返った。
 真紅の瞳に隠された優しい視線を俺に向けながら、笑みを浮かべるサクラ。
 行くな……行かないでくれ!
 そう叫びたくなる気持ちを押しとどめ、俺はサクラの笑顔に笑顔で応える。
「じゃあ行くね」
 そう喋りかけると同時に、体を震えさせるサクラ。


 ――バサッ
 次の瞬間、サクラの背中から漆黒の翼が突如として現れたのだ。
 漆黒の翼をはためかせながら、俺の眼前に降り立つサクラ。
 初めて見る。
 ――これがサクラの吸血鬼に対抗する力。
 先日、俺がサクラに聞いた『半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)』の特徴の一つ。
 サクラたちは『半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)』になった時、人間の力を超越した能力を身に付けることがあると教えてくれた。
 俺は今まで『半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)』の吸血鬼に匹敵する身体能力が吸血鬼に対抗する力だと思っていたが、どうやらそれは勘違いのようだった。
 サクラは風を操る能力を身に付けているらしい。
 前回の任務でサクラが敵の作り出した風の防壁を崩すことが出来たのも、この能力によるところが多いとのことだった。
 相手の生み出した嵐よりも力の強い風を『銀の十字(クロスシルバー)』に纏わせて敵を斬ったということらしいのだ。
 だけど――
「なあサクラ、わざわざ翼を出す必要があったのか?」
 今のサクラは背中に大きな翼が生えている。
 サクラ曰く出し入れは自在だということらしいのだが……
「必要だよ。空中だとバランスがとりづらいから姿勢を安定させるためにはどうしても翼が必要なんだ。ちょっと吸血鬼みたいでシグレは嫌がるだろうけど……」
 そう言いながら、サクラはその場でくるくると回ってみせた。
(そうじゃないんだ。俺が言いたいのはそんなことじゃない)
「その大丈夫なのか? そんなに力を使って――」
 聞いてはいけないことだと理解しながら、それでも俺は聞かずにはいられなかった。
「? 大丈夫だよ。このくらいは訓練でもよくするし……だからそんなに心配しないで」
 サクラのその懇願するような瞳をみて俺はそれ以上サクラに聞くことが出来なかった。
 本当は戦ってほしくない。普通の女の子として過ごしてほしい。
 だけど、きっとサクラはそれを喜ばない。
 だから、俺は、
「わかった。もうこれ以上は言わない」
 どんなに身を斬られる思いでも、最後のその時までサクラを見届けなくちゃいけないんだな。
「ありがとう。シグレ」
 サクラはそう言うと同時に翼を大きく広げ宙に浮かんだ。
「サクラ、アイシスの隙を逃すなよ?」
「シグレこそちゃんと隙を作ってね」
 そう言葉を残して、サクラは遥か上空へと飛翔した――



 サクラを見届けた後、俺はアイシスが潜伏しているという情報があった地点へと足を運んでいた。
 今回の作戦ではサクラの助けが見込めないぶん慎重に行動する必要がある。
 俺は潜伏地点を一望できるポイントを探し、狙撃の準備をしていた。
(できることなら一撃で仕留めないとな――)
 サクラへの負担の軽減を考えていた俺はライフルに『銀の弾丸(シルバーブレット)』を装填し、アイシスの出現を待つことにした。
 凍える寒さの中、白い息を吐きながら、俺はサクラのことを考え始めていた。
 サクラはまだ大丈夫だといっていたが、俺にはどうしても不安を拭い去ることが出来なかった。
 サクラが先日、俺に話した内容はそう思わせるほど深刻なものだったんだ――