勇者
アンチヒーロー
俺は本当は、この世界にいらないんじゃないかと思う。きっと、神様が間違って俺を創ってしまったんだ。
親父とお袋は、俺が物心ついたときから不仲だった。顔を合わせれば、喧嘩しかしないし、お袋は俺によく八つ当たりしてきた。どっちの爺婆も、俺のことを助けてはくれない。妹と弟がいるけど、妹は尻軽だし、弟は頭が軽い。どっちも俺のこと見下してくる。訳が分からないけど、お袋や爺婆は奴らには甘い。顔の所為だろうか。なら親父はというと、何もしない。仕事でうちにいないことが多いし、帰ってきても飯食って喧嘩して寝るだけ。親父は俺だけじゃなく、妹弟にも無関心だ。それなら、やることやらなきゃいいのに。
俺に何ができるかというと、何もできない。勉強ができるわけでもないし、運動もできない。不細工だし、背も低いしがりがりでもやしみたいだ。髪の毛はべたっとしていて重いし、弱っちい癖に目つきが悪い。見た目だけで判断するなら、決して好人物には見えない。かといって性格がいいわけではない。当然のごとく友達はいないし、いつも一人でいる。昔からずっとそうだったから、コミュニケ―ション能力が向上するなんて有り得ないし、今更どうすることもできない。
学校ではいじめを受けてる。勉強できないから公立の底辺高校に通ってる。俺何もなくて臆病な癖にプライドだけは一人前だから、意地で通ってるだけだが、それで何が変わるかっていうと何も変わらない。靴とか教科書とか隠されるのは当たり前だし、机の上に華とか無視されるとか日常。お金を請求されることもあるし、暴力だって当然のように振るわれる。あいつらは見えないところに病院に掛からなくていい程度の傷ばかり負わせてくる。卑怯な奴らだ。恥ずかしい写真だってとられるし、校内で張り出されるなんてざらだ。それでもどうせ親は助けてくれないだろうし、先生もその上も屑ばっかだ。
殺してやろうと考えたこともある。だが、俺が奴らに敵うのか? 答えはNoだ。力でなんて敵いっこない。もしやるなら相搏ちを狙うしかない。ガソリンぶちまけて、放火でもするしかない。精神を病んで、連続殺人犯にでもなれたらよかったのに。
自殺も何度も考えた。真似事だってした。でも俺にそんな度胸はない。本当は誰だって、死ぬのは嫌なはずだ。それに俺が死んだところで誰も悲しまない。むしろ、歓喜するだろう。だから、俺はせいぜい居座って周りを不快な思いにさせてやる。嫌われっこ世に憚るっていうのは正にこういうことだと思う。
自分の手首から流れる血を見て安心する。俺、まだ生きてんだな、紅い血の流れる人間なんだなって。傷が火照って、すげえ痛くて、まだ生きてると思った。まだ生きてんだな俺って思った。もう、俺駄目なんだ。精神病んでんだ、狂ってんだ。
俺本当は、別の世界の住人ならよかったのに、と思った。いい歳になったり、痛みがある程度たまったりすると迎えが来てくれる。俺が俺じゃなきゃよかったのに、二重人格とかだったら救われたのに。そうだったら、よかったのに。
親にも同級生にも、暴力をうけて俺はいつもぼろぼろだ。だからそこら中包帯や絆創膏だらけだし、何かあったときのために、本来は禁止されてるカッターやナイフも持ってる。しかし、それがまた所謂正義厨の癪に障るらしくって、「中二病きもいんだよ」と更に暴力を受けた。
こんな世界は理不尽だ。なぜ、俺ばっかりこんな思いをするのか。そりゃ確かに世界にはもっと酷い目に遭ってるやつもいるし、日本にだって俺みたいな境遇なやつはいるだろう。だが、俺にとっては今の状況は最悪だし、俺のキャパなんか遥かに超えてる。誰か、早く、俺を殺しに来ないかな。
俺が少年漫画の主人公だったら、ある日突然とんでもない力に目覚めて覚醒して、正義の味方になって悪を切り捨てて、家族や同級生にも見直されて、美少女に惚れられるとかあったのかもしれない。それでなくても俺が何かの小説の主人公だったら、同級生に復讐したのかもしれない。だが、これは現実だ、現だ。夢でも幻想でも幻でも物語でも小説でもない。俺はこうして苦しむことしかできない、夢になんて逃げ込めない。
死にたい、長生きなんてしたくない、生きてたくない、殺してくれ。誰か、殺してくれ。誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か、
俺を殺してくれ。
今日も、いつもと同じ。お袋の罵声で目が覚めて、碌な朝飯はなく、汚れた教科書と筆箱を持っていく。いつの間にか、慣れてしまった。朝飯が大したことなくても頭は動くし、隠されたり壊されたりしないように、教科書類は肌身離さず持っている。どこに行くにも、鞄ごとだ。昼飯は持っていかない、どっかで買って隠れて食べる。便所飯なんてしない、上から水をかけられるのが分かっているからだ。
放課後呼び出される。金の無心。けれど、俺は金なんて、それこそパン二つ分しかない。親にねだったところで金なんて絶対にくれないし、財布から盗もうものなら俺は殺されるだろう。
金がないと言うと、奴らは寄って集って殴りに来る。一人じゃ何も出来ない癖に。
俺は抵抗しない、やめてとも言わない。しても無駄だ。更に痛い目に遭うだけだ。俺がじっと我慢してれば、早く終わるのだ。ただ、じっと、死んだかのように、横たわっていればいい。
すべてが終わる頃には、あたりは宵闇に覆われていた。もう、真っ暗だ。人気の無い所に連れ込まれるから、あたりに街灯などない。真っ暗、独り、とり残された。
震える足に力を込めて、ゆっくり起き上がる。鞄を抱え込んだまま、服の土を払う。制服は土だらけ、肌の出ている部分は血だらけ。いつも、この状態で帰るのに、誰も俺を助けてなんてくれない。見て見ぬふりをするだけなのだ。
早く帰らないと、お袋がうるさい。ヒステリックに叱る。黒板をひっかいたような甲高い声が、痛い頭に響く。気持ち悪くなる。お袋は、俺のことなんか、一ミクロも気にかけちゃいない。
足を引きずるように、歩いた。全てが憎らしかった。何もかも、なくなってしまえばいい、壊れてしまえばいい。俺に、全てを破壊するだけの力があったなら、権力があったなら。
月もない、星もない。異常に明るい街灯と、囂囂と音を立てて走る車のライトが目にしみる。このまま、車の前に飛び出してしまおうか。
俺の足が、車道に向こうとした。
悲鳴が聞こえた気がした。風を切り裂くような声だった。女の声だった。
誰かが、俺のようにいじめられてるのだろうか。女で俺のような目に遭うのは、つらいだろうな。
声が聞こえたのは、今俺の隣にある公園だった。昔よく、俺が逃げ出したところだ。
暗くてよくは分からないが、誰か人がいるようだ。目を凝らしてみると、白っぽくて長い髪のやつが数人と、もう一人誰かがいる。うちの学校の制服のようだ。
うちの学校は底辺高校だから、強姦される女がいたところで何も不思議ではないし、きっと報道もされない。上がもみ消すだろう。
しばらく見ていると、女が俺に気づいたようだ。俺に向かって手を伸ばし、助けてと叫んでいる。顔はよく分からない。
俺は助けてなんてやらない。普段、俺のことを無視する奴のことなど助けるつもりはない、必要はない、理由もない。こいつが、いつ、俺に、何をしたっていうんだ。
女を襲っている奴の一人が、すっと消えた。闇に紛れるように、消えていった。俺が見てるのは、幻なんだと思った。きっと、疲れ過ぎたんだ。
そのうち、一人が女の口をふさいだ。そいつらの背後には、ぽっかりと闇があった。なんとなく見える、大きな、穴のような闇だ。
一人が、また消えていった。闇に吸い込まれるように、消えていった。
女を抱えている奴も、闇に吸い込まれ始めた。女が、一層もがき始めた。
一瞬、顔が見えた。
すぐに消えた。二人は、闇に消えた。俺は見てるだけだった。
女は、俺のクラスのやつだった。所謂、クラスのアイドルというやつだ。美人で優しいと噂だった。
だが、俺に何かしてくれたことはない、良い意味でも、悪い意味でも。何もしない、一番卑怯な奴だ。奴は、いつも俺のことを見ていた。申し訳なさそうに、いつも見ていた。正直、そんな顔で見るくらいなら、助けにくればいい。それができないなら、いっそ俺のことをいないものとして扱ってくれた方がいい。
奴の悲壮な顔が目に浮かぶ。苦しそうだった。
後悔も反省もしてない。俺と同じように苦しめばいいとさえ思った。
俺は、周りと同じように見なかったことにして、前に進み始めた。
サイレンの音が近づく。真っ赤なライトが輝く。
救急車と消防車のサイレンが鳴り響く。頭に響く。心なしか、俺の進む方へ向かってる気がした。
俺はマンション住まいだ。無論、マンションといっても、やたらぼろくて狭くて薄汚い。勿論あり得ないが、風が吹けば倒れるような、そんな気さえする。
マンションは、紅に包まれていた。大勢の人が、野次馬がマンションを囲んでいた。
俺もこの中に飛び込んで、死んでやろうかと思った。だが、人が多すぎて前に進めないし、なんだかどうでもよかった。
きっと、俺の家族は死んだだろうな。炎に包まれて苦しかっただろうな。
真っ暗な中で、煌々と燃え盛る炎がやけに綺麗に見えた。
不謹慎なのは、分かっているが、笑いが込み上げた。すごく嬉しかった。俺が大事にしてるものなんか家には置いてないし、お袋や妹弟なんかいなくなればいいと常々思ってた。
大声で笑うわけにはいかないから、うつむいてひっそりと笑った。楽しすぎて嬉しすぎて喜びすぎて、涙が出た。肩が震えた。
「勇太、勇太!」
俺を呼ぶ声がした。俺は名前なんか大嫌いだ。あのお袋や親父がくれたものなんかいらない。大した理由もなく、いかにも適当につけましたなんて名前が嫌いだ。
少し振り向く。親父だった。
なんだ、死んでなかったのかよ、と思うと少し顔がゆがんだ。苛ついた。
顔が歪んで涙目で肩の震える俺を、親父はいいように勘違いしたようだった。
「大丈夫か、勇太。……母さん達は」
絶望を混ぜたように、精一杯いつもはしない父親のように、親父は話しかけてきた。
俺が顔を歪めたまま炎の方を見ると、父親は察したように、小さく
「ああ」
と言った。だが、俺は悲しくもなんともない。苦しくも辛くもない。
目を閉じていても、炎が燃えているのが分かる。いつもは俺を苦しめる存在でしかないのに、ああ、今はなんて心地よいのだろう。
「お前は先に車で休んでいなさい。ほら、車の鍵だ」
親父は俺に車の鍵を渡した。口調は精一杯優しそうにしていたけれど、なんとなくすごく、とても嫌そうだった。周りの目を気にして、精一杯父親を務めているが、本当は俺のことなんてどうでもいいんだろうな。所詮、世間体を気にするだけの奴なんだ。
このまま逃げようと思った。親父も苦しめばいい。自分の息子の失踪、その上車の鍵はなし。今なら、今の俺になら、できる。
車の鍵をズボンのポケットに突っ込み、もう一度鞄を抱え込んだ。人込みをぬけて、親父の目線のありかを探る。こっちには、目もくれない。
ゆっくりと後ずさり、目線を炎に向けたまま体を反転させる。
笑いが込み上げる。声には出さないが、顔は今までにないくらいの笑顔だろう。
足を踏み出す。痛みで足は重いが、あまりの喜びで一歩は軽い。
二歩目を踏み出すとともに、俺は加速を始める。
俺は走り出した。大して速くは走れないが、こんないい気分で走るのは俺史上初の出来事だ。まさに、気持ちとしては、俺は風になる、だ。
目的地はこれといってない。薬物を吸ってハイになったような、今の気持ちのまま、死ぬのだってかまわない。
とにかく走った。横を誰かが通り過ぎて行った。隣を消防車が通り過ぎた。
店のネオンがまぶしい。目に突き刺さるようだ。
道行く人が奇異な目で俺を見る。血だらけの人間が笑顔で走っていたら、おかしいだろうが今の俺には気にならない。俺は、自由だ。
ただひたすら走った。周りの景色なんて気にしてはいられない。ただ真っ直ぐ、曲がり角を全て無視して走った。信号で止まらない、運よく、まだ轢かれてはいない。きっと、来たことのないところに来ただろう。
しばらく走り続けると、来たことのない神社があった。御社の後ろは鬱蒼とした森に蔽われている。俺は何かに魅かれるように、中へ進んだ。
御社を通り過ぎ、森へ進んだ。この地域は田舎というほどではないが、決して都会ではない。だが、これほどの森があるのは、どこか異質だ。否、この森自身が異質なのだ。
がさ、と落ち葉を踏む音がした。ぬっと靴が沈んだ。土が湿っているのが分かる。革靴にはよくないが、俺の靴に今更そんな心配はいらない。
何も見えなくなった。鞄を抱えるのをやめ、手探りで前に進むしかない。まさに、樹海。俺を死に誘うかのように。
盲目になったような気分だった。人生の先は闇、俺の目の前も闇。街灯も月もなければ、こんなに暗くなるのだと知った。
突然だった。鞄を落とした。
強い光に襲われた。目が眩むような、太陽を直視しているような、強い光だ。
前方が突然輝きだした。腕で目を庇ってはいるが、光が止む気配はない。
頭がぐらぐらしてきた。気持ち悪い、揺れる、俺だけが揺れてる。体の中のもの全て、内臓も全て吐き出してしまいたい、空っぽにしたい。気持ち悪い。
腕で庇っているのに、目は開けていられなかった。
すると、どっと疲れが押し寄せてきた。目を閉じたせいだろうか、体が眠る体制に入ったのか。
足元がおぼつかなくなってきた。体が揺れる。自分ではどうにもできない、止められない。力が入らないから、体がいうことを聞かない。
駄目だ、倒れる。
諦めて、体から全ての力を抜いた。すごく楽な気分だ。
湿った大地に体が横たわる。気持ち悪い感触だった。
目を閉じていても、強い光の存在を感じる。止むまで待っていたかったが、無理だった。俺の意識は閉ざされた。
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