彼は両目から血を流しながら、ゆっくりと人の気配のする方へ目を向けた。霞がかった視界に映るのは、曇天の下に積み上げられた死体の山と廃墟と化した街に蠢く亡者の群れ、そして全ての中心、すなわち彼の隣に立っている白髪の美丈夫。
「一般人へのマ法による傷害、およびシ人の製造、加えて俺の××に俺より先に傷をつけた罪により、」
 白髪の男は鎖付きの黒い眼帯を指でなぞり、紫煙を吐き出した。
「――死刑を執行する」
 そう男が言い切った刹那、辺り一体は青白い炎と灼熱に包まれ――
「……やーっと、見つけた」
 自分の腕を乱暴に掴む男の蒼い瞳を見つめたのを最後に、彼の視界はブラックアウトした。

   ******

「く、くまちゃん?」
 口から上を覆い隠す布を掻いて、二ノ前にのまえは困惑した声を出した。書類の山を整理する手を止めて、かわいらしい侵入者に顔を向ける。顔を印の描かれた布で覆った奇妙な風体の青年にも、幼い少女は臆することなく続ける。
「そう、わたしのくまちゃんのぬいぐるみとられちゃったのー……」
「へ、へええ……」
くまちゃんのぬいぐるみ。こんな場所でそんなファンシーな単語を聞くことになるとは、と二ノ前は頭を掻く。全く話が見えないが、ここで何も聞かずに少女を帰せば、まあ自分は燃やされるだろう。二ノ前は事務所の主の顔を思い出して、ため息をひとつついた。とりあえず事務所のソファに少女を座らせ、冷たいココアと焼き菓子を与え、自分には安物のコーヒーを注いで、少女の向かいに腰かける。ココアの入ったグラスをつかむ小さな手。くりくりとした眼が二ノ前を見上げた。
「ここの人に言ったら取りかえしてくれるって、ママが」
「……いやそれたぶん普通に行った方がいいよ。ここにはヒーローはいない白い悪魔しか住んでない」
「ここじゃなきゃダメなんだってー」
「えええーわけがわからない、何でくまのぬいぐるみが……?」
 二ノ前は首をひねってうんうん唸るが一向に話がつかめない。窃盗事件なら警察に被害届をだすように言うのが普通じゃないのかママ、そう思うが目の前の少女は至って真剣である。
「ママは言ったらわかるって言ってたけど、おにいちゃんはここの人じゃないの?」
「いや、ここの人だけど。お嬢ちゃんの言う『ここの人』ってのはたぶん俺じゃなくて」
「――『マ法使いの《杖》は普段の姿が文字通りの杖であるとは限らない』」
 二ノ前は声のした方にゆっくりと首を向け、扉の前にたたずむ白髪の男を見て顔に巻いた布を思い切りゆがめた。
「げ、ヒトトセ……」
「今帰ったぞ二ノ前」
 春夏秋冬ひととせと呼ばれた男は壁にもたれかかってひらひらと手を振った。ウルフカットの白髪、異様に白い肌、そして蒼い目。全体的に白い顔の中で、左目を覆う鎖付きの黒い眼帯だけが異様な存在感を放っている。人間離れした顔立ちの美丈夫は、ひょいと二ノ前のコーヒーをさらうと、何かを面白がっているような目で少女に笑いかけた。
「シ人に持っていかれたかお嬢ちゃん?」
「……シ人ってなにー?」
 こてんと首をかしげる少女に、二ノ前は横から口をはさんだ。
「うーん分かりやすく言うとゾンビ、みたいな感じ……? あ、ゾンビってわかるかな」
「わかるー! ぞんびだった!」
 分かったことがうれしいのか、きゃっきゃと楽しそうに笑う少女。春夏秋冬も空になったカップを弄びながら、にやにや笑う。白髪の男は、少女にどこで盗られたのか聞き、笑みを深めた。二ノ前はそんな二人を見比べて少し考え、ようやく合点の言った顔をした。
「この子はマ法使いで、《杖》をシ人に奪われた、ってことか」
「そんなことも聞き出せないお前は、ホントに無能だな」
「……俺マ法使いじゃねーんだからしかたないだろ、わかんねーよそんなこと」
 少女から目をそらしむくれる二ノ前の額をぺしぺしと叩き、春夏秋冬は無駄に整った顔を歪ませてケケケと笑う。
「よーしお嬢ちゃん、母ちゃんに言って一万円もらってきな」
「いちまんえん?」
「お嬢ちゃんは俺に助けてほしくてここに来たんだろ? 」
「そうー」
「なら依頼料ってのがいるから一万円もってまた来い」
「わかった、そのかわり、絶対やくそくよ!」
 ワンピースを翻した少女に向けて、春夏秋冬は親指を立てた。
「当たり前だろ、俺は正義のマ法使いだからな」
「……仕事放り出してパチンコ行ってたくせに」
 そっぽを向いて溜息をつく二ノ前を尻目に、春夏秋冬は眼帯の鎖を揺らしてくつくつと笑った。


 インクの匂いが事務所中に充満している。窓も扉もすべてあけて換気をしようかとも二ノ前は思ったが、春夏秋冬が逃げ出しかねないので諦めてハンコの押された書類をまとめにかかる。
「というかマ法で片付けろよ、マ法使い」
「マ法は一人ひとつだ馬鹿、一瞬でデスクワークが使えるマ法使いなら俺はこんな仕事ついてねェ」
 ――マ法使いとは。浮遊、空間転移、治療などなど大なり小なり何かしらの奇跡を起こせる人間のこと。二ノ前のような普通の人間が知る魔法使いに関する知識はそのくらいなものだ。マ法使い達は閉鎖的で一般人とはあまりかかわりを持たないものなのだ。
「それにしても最近仕事が多いな?」
 やだやだと振られる手とは裏腹に、口角はいかにも愉しそうに釣り上がっている。足元にはうずたかく積まれた書類の山。やたらと決済サボってるせいもあると思うんだけど、という小さな呟きは、紙の上を猛スピードで走るペンの音にかき消された。
「ちなみに、マ法に必要なものは、血筋などによる本人の素質とマ法を使うために消費するマ力、それをコントロールするための修行と」
「……えっと《杖》?」
「そうだ」
「マ法使いのことなんか別に知りたくないんだけど」
「それでも覚えろ」
 まるで指揮者のようにペンを振るいながら春夏秋冬は書類の塔を低くしていく。マ法に関する講釈を垂れながらも止まらない手。うんざりとした顔で、飛んで行った紙を拾いながら二ノ前はぼやく。
「それにしても《杖》取り戻すだけなのに高くね? いたいけな子供からぼったくるなんて、ホントに悪魔か何かなの、ヒトトセ」
「馬鹿だな、かかる労力を考えればこれでも安すぎた方だ。ま、お前にはわからないだろうけどな」
 紙から目を上げて、くつくつと喉だけで笑う。二ノ前はまとめた書類を男の顔面に叩きつけてやりたいという衝動を押し殺し、少しだけ窓を開く。厚い雲が覆う空、ほんのりと香る雨の匂い、降るなら洗濯物を取り込まないとなぁとぼんやり思った。――ふと、春夏秋冬は手を止めた。止まったペンの音を不審に感じて二ノ前は机の方を振り向く。
「というわけで少し寝てろ」
 そう言うと春夏秋冬は二ノ前の後首に手刀を落とした。

   ******

 ――全部俺のせいなんだってさ。全部俺のせい、全部俺の。マ法使いなんて嫌いだ。いい奴もいれば悪い奴もいるって、そうだよ俺だって頭でわかってはいるんだよ。でも身体が拒絶する、吐き気がする。痛いし怖いし辛い。今も鼻の奥に残る腐臭と耳元で何度も再生される悲鳴。あんたには分からないだろう? だから俺に近づくなよ包帯に触れるなよきもちわるい。俺は見えないままでいいんだ新しい「目」なんていらない、もう何も見たくなんかない何も知りたくない。きもちわるい。何だよ、だから、近づくなって言ってーーッ!?

 ――……なあ、今、××って、言った?
 

「……な、んで」
「おっはようごっざいますぅ!」
「……?」
 頭が痛い。眩しい。何か固いものの上に横たえられている。白い天井が見えた。指を伸ばして顔に布が巻かれていることを確認する。耳元で愉しそうな声がする。二ノ前が声のする方向にゆっくりと顔を向けると、白衣の美女はずれた眼鏡を直し、ニコニコと人のよさそうな笑みを浮かべている。頭が痛い。
「手紙にあった通りぴっちぴちの青年個体ですねぇ、数日エサを与えて完全に健康体にしてぇ、材料にさせていただきますねぇえ」
 ずきずきと痛む頭を押さえ、見慣れない場所と材料という言葉に二ノ前の脳は少し、いやかなり混乱する。
「あまり派手に動くと忌まわしい審問官どもに見つかってしまいますしぃ、マ法使いの材料はなかなか手に入らないのですよねぇ」
 マ法使いという言葉に二ノ前はピクリと眉を動かす。
「……あの、おねーさん。俺はマ法使いじゃないんですけど」
「あらぁ? 人間?」
 つんつんと二ノ前の頬をつつきながら美女は小首をかしげる。彼女の肩越しに怪しい緑色の水で満たされた巨大な水槽の群れが見える、空? いや、何か浮かんでいる、肉の塊? 二ノ前は目を凝らし、そして。
「人間……!?」
 そして心底後悔した。ぷかりぷかりと半透明の緑色に浮かんでいるのは色の悪い腕、ボロ布と化した服をまとう身体、そして絶叫のまま固まった顔。そして同じ水槽には万年筆、携帯電話、ナイフ、エトセトラエトセトラ。――《杖》、だ。二ノ前は本能的にそれを知り、そのことに嫌な顔をした。それらが収められた水槽が部屋の奥までずらりと並んでいる。
「人間なんかと一緒にしないでくださいますぅ? あれは我らの同胞、マ法使いですよぉ」
 死体ですけどぉと悪びれもせずに言い、二ノ前の首を掴んで台から引きずり下ろした。腰をしたたかに打ち付け布を思い切り歪めるが、女はそれに目もくれず、二ノ前の首をつかんだまま、かつかつと音を立てて薄暗い階段を昇っていく。
「タダの人間なんて、シ人たちのエサにするくらいしか使い道がないのですよぉ」
 困りましたねぇとかわいらしく呟きながら、女性の力とは思えない怪力で二ノ前を引きずる美女。酸素を取り込もうとするが、首の後ろをつかまれていため口からは乾いた咳しか出ない。それかマ力を注いでシ人にするかですけどぉ、と彼女は笑いながらも力を緩めない。ドアが開く音と雨の日の冷たい風を、二ノ前は遠ざかる意識の向こうに感じた。
「ここから落とせば、私の服は汚れませんよねぇ?」
 前髪が肌に張り付くのも無視して、女はニコニコと笑う。豪雨。仄明るい誘蛾灯の光、手すりの向こうに地上が、見える。女がぱんぱんと手を叩くと、ぼこ、とあちこちから音がした。土が盛り上がる。伸びてくる血色の悪い手、手、手、手。大きな雨粒が二ノ前の頬を叩く。地中から我先にと這い上がってくるシ人たちを見て、二ノ前は胃からせりあがるものを感じた。
「シ人ちゃんたちー、ご飯ですよぉお」
 そう言うと女は二ノ前を持ち前のの怪力で放り投げ――、
「――随分と気付くのが早かったな?」
 寸前、伸びてきた長い腕に服をつかまれた。誘蛾灯の病的な光に照らされて濡れた白い髪が踊る。眼帯の鎖が揺れ、鳴った。
「ヒトト、セ……」
「俺の贈り物は届いたか、マ法使い穂積ほづみ
「はぃい、私の思想に同調して材料を提供したいというマ法使いさんということでしたよねぇ。でもぉ、アナタにもらったソレはマ法使いではないといってたのですよねー」
 穂積と呼ばれた美女は黒い髪を揺らし妖しく微笑んだ。春夏秋冬は二ノ前をコンクリートの地面に落とし微妙な顔になる。
「おい二ノ前、お前囮なんだからマ法使いじゃないことバラすなよ、時間稼げ馬鹿」
「そういうことは、先に言っとけ、よ……じゃない、なに人を勝手に敵に、渡してんだ、バカぁ!」
 二ノ前が荒い呼吸をしながら春夏秋冬を見上げると、白髪の男は、少しだけ苦しそうな表情を作った。
「……奴がマ法使いを殺すまで数日かけることは知っていた。それを考えると一番安全だと思ったんだが」
「は」
 ぽつりと呟いたかと思うとすぐに穂積に向き直り、いつもの厭味ったらしい笑みを顔に張り付ける。
「さて、マ法使い穂積。マ法使いをさらって殺害、その死体と《杖》を材料にそのマ法を奪ってきたな。ずっと追ってたがやっと見つけた」
 まさかくまが切っ掛けで見つけるなんて思っても見なかったけどな、そう言って春夏秋冬が指差した先に目を向けると、無造作に置かれたくまのぬいぐるみが雨に晒されていた。
「あらら、もしやあなたは審問官? 私、嵌められたんです?」
「ご明察。今なら楽に死なせてやるから大人しく投降しろ」
 春夏秋冬の足元から橙の炎が湧きあがる。
「ふふふ、《発火》ですかぁ……」
 眼鏡をゆっくりはずして穂積は微笑んだ。女の足元の水たまりがうねる。
「ならこれですよね、……《おいでませ、水蛇シュランゲ》」
 ゆうらり。穂積の言葉に答えるように女を守るように水で出来た蛇がまとわりつく。女のはずした眼鏡が、手のひらで白い杖に代わっていた。
「《杖》なしで不利な状況を戦う気ですか?」
「……《Fasyagwndank》――!」
 意味を持たない音と共に、春夏秋冬の手から橙の炎が飛ぶが、迫る水蛇の口に難なく飲み込まれた。そのまま蛇は肩に鋭い牙を立てる。
「がっ……!」
「殺しちゃだめですよぉ、栄養状態が悪いとうまくマ法が抽出できませんん」
 春夏秋冬は牙から逃れようともがき、拳に炎を纏わせ顔面に叩きつけようとするが、蛇はすぐに水に戻り、再び蛇の形を取ったかと思うと春夏秋冬の身体にきつく巻きついた。苦しそうにくぐもった男の声、ヒトトセ、と二ノ前が弱弱しく名前を呼ぶが、春夏秋冬は視線を寄越さない。
「借りモンの《杖》だと調子が出ないか」
 黒い眼帯を押さえて小さく舌打ちをする。肩の傷口から流れる血が雨粒に流され薄い赤の水たまりを作った。穂積は息の荒い春夏秋冬を見てニコニコ笑う。
「では、あなたの《杖》を使えばいいじゃないですかぁ?」
「断る、お前なんてこの《杖》で充分だ」
「あれを見てもそう言えますぅ?」
 春夏秋冬は女が指差した方に視線を向ける、屋上の手すりにシ人の手が次から次へとかかるのが見えた。血の匂いに誘われてここまで這い上がってきたのだ。マ力を注がれ続けた人間のなれの果て。春夏秋冬は何かを諦めたように口角を持ち上げた。
「……やっぱり、マ法使いなんか嫌いだよ」
 どこか悲しげにそうつぶやいて、突然二ノ前がふらりと立ち上がった。おぼつかない足取りで、蛇に締め上げられている春夏秋冬に向かって、歩く。
「人間は引っ込んでいてくださいませぇん?」
 穂積は興味なさそうに二ノ前を一瞥し、両手を打つ、水蛇が新たに生まれ舌を出す。水蛇、這い上がってきたシ人がその首筋をねらって飛びかかる。が。
「きもちわるい」
 それらは何か見えない壁に阻まれたように崩れ落ちた。衝撃でぱさり、と彼の顔を覆っていた印入りの布が地面に落ち、大きく引きつった傷があらわになる。二ノ前は光の映らない目をぼんやりと開く。瞳から血のように昏い紅が溢れ出し、彼の全身を包む、固める。大きな紅い塊が、まばゆい光を放出し――、
『なんで使わないんだよ、……俺はお前の、《杖》なんじゃなかったの』
 ――二ノ前の声と共に、光が終息する。二ノ前がいた場所には光り輝く紅い杖が浮かんでいた。白髪の男は肩の傷口を抑えながら、宙に出現したそれにためらいながらも手を伸ばし、刹那、足元から勢いよく迸る青い炎、男を拘束していた蛇が蒸発し、消える、炎の中で春夏秋冬は、仕方ないとでも言うように、嗤った。
「春夏秋冬審問官そして《杖》二ノ前の名において、マ法審問官特殊権限を発動する」
「人間の《杖》、それに春夏秋冬……? 」
 穂積は何かに気付いたように目を見開いた。  
「マ法審問官特殊権限により、マ法関連の罪状を独断で判決、ならびに刑の執行を行うことをここに宣言する」
 異論は認めない、と機械的に決まり文言を吐き出しながら、春夏秋冬はシ人の群れに歩み寄る。鼻の曲がるような腐臭の原因に《杖》を翳した。青い炎が何か巨大な生物のように口を大きく開け、唸るシ人の群れを、食らう。残った灰、死肉の焦げる嫌な匂い、それはやがて大雨に流された。
「……その人間の《杖》。アナタ、かの悪名高い春夏秋冬審問官だったのですねぇえ」
「ご明察」
 ふふふと笑って穂積は白い杖を回すと、水たまりの中から次から次へと新たな蛇が生む。
「ですが雨が降っている限り、私の有利に変わりはありませんよぉお」
 水で出来た蛇の頭を愛おしそうに撫でながら、穂積はうっとりとした表所を見せた。無数の水蛇が雨粒を取り込み大きくうねる、春夏秋冬と二ノ前に一斉に牙をむく。春夏秋冬はくつくつと喉を鳴らして笑った。
「《来い、炎獅子レーヴェ》、……二ノ前」
『――応』
 青い炎から紅く巨大な獅子が生まれ、吠えた。豪雨の中を炎で出来た獅子は駆け、水蛇たちの喉元に食らいつく。蛇は舌を出してのたうちまわり、この世の物とは思えない叫び声をあげながら蒸発してゆく。穂積はニコニコと笑いながら舌打ちをした。
「やられてしまいましたかぁ、でもあんなものいくらでも作れ、……ッ!?」
 ――瞬間、ぴしり、と音を立てて白い杖が砕けた。穂積の顔を血がつうっと流れる、額が陶器のようにヒビ割れていた。青い炎と紅い獅子を従え、春夏秋冬は杖の切っ先を穂積の喉元にあてる。
「マ法は一人ひとつ、それ以上は過ぎたことだ、身体が耐えられない」
「でも生まれ持ったマ法が弱かったら? 戦えるものでは無かったら? 私は力が欲しいんですよぉ! この世界は力が全てでしょう? あなたもそうではないのですか、春夏秋冬審問官」
 美女は額から血を流しながら、高らかに嗤った。
「知っていますよぉ春夏秋冬審問官! アナタの一族が禁忌を犯して最強の《杖》を作り出したことも、アナタが彼らに何をしたのかも! 血塗れのアナタに私を裁き正義を騙る権利があるのですかぁ!?」
「ない」
 そう言い切って、春夏秋冬は口角を持ち上げて獅子の首元を撫でる。炎獅子は、二ノ前は鬣を揺らめかせ巨体を春夏秋冬に擦りつけて、ごろごろと喉を鳴らした。
「ない、が俺を裁くのはお前じゃない」
 白髪の男は張り付いた前髪を掻きあげて、蒼い瞳に曇天を映す。
「他からの≪杖≫の強奪、並びにシ人の製造、マ法使い殺害の罪により――」
 マ法で湿った煙草に火をつけて、白髪の男は、その顔から一切の笑みを消した。
「死刑を、執行する」
 紅い獅子が吠える。だんだんと迫る炎に、初めて穂積の眼の中に恐怖が浮かぶ。叩きつけるような豪雨の中、つんざくような獣の咆哮と灼熱の青い炎が辺り一帯を呑みこみ――。


「……疲れた」
 いつのまにか雨は止んでいた。まるで力の入らない身体を雑に運ばれながら、二ノ前は男の腕にすがりつき小さく咳こむ。
「疲れた、痛かった、怖かった……!」
「一万じゃ割に合わなかっただろ」
 二ノ前は地面に乱暴に落とされ唇をへの字に結んだ。ひゅうと冷たく吹き抜けていく風。春夏秋冬はいつものようにくつくつと笑い、二ノ前の布を拾い、投げる。顔にあたったそれを手さぐりで結び付け、二ノ前は燃え続ける廃ビルに顔を向けた。
「火加減が面倒でな」
「ああうん、俺も」
 煌々と燃える青い炎、照らされて月のように輝く白い髪。春夏秋冬の黒い眼帯に目を向け、自分の目が見えていることを確認する。
「ま、くまは確保したから大丈夫だろ」
「くまちゃん持ったヒトトセ……なんで俺カメラ持ってこなかったんだろう」
 すっかり乾いた土に全身を投げ出して、きもちわるいと小さな声で呟く。春夏秋冬は厭味ったらしい笑みを浮かべ、新しい煙草を取りだし、火をつけ、咥えた。
「……もし、全部終わったら」
 ――なあ、今、殺せ、って、言った?
 ぽつり、と声がこぼれた。二ノ前はいまだ男の足元でくすぶる炎をじっと見つめる。もし、全てが終わったら。ぎゅうと握りしめた手のひらに、爪が食い込んでいく。
「全部終わったら、俺に全てを教えてくれるのか」
 ゆらりと炎が揺れる。二ノ前は何も知らない。マ法使いの事も自分の事もあの日の事も、春夏秋冬の事も。どうして、自分を殺せと言ってきたのかも。あの女ですら何かを知っていたのに二ノ前は何も知らない。今まで自分が避けていたことのはずなのに、そのことをなぜか、ほんの少しだけ、寂しいと思った。
「……いつか、な」
 春夏秋冬はそれ以上何も言わずにゆっくり右目を閉じて煙を吐き出す。ぬいぐるみの赤いリボンが、白い煙と共に夜風に揺れた。

   ******

 くまのぬいぐるみを抱きしめて少女は花がほころぶような笑顔をみせ、春夏秋冬にぺこりとお辞儀をした。
「くまちゃん取り戻してくれてありがとう、おじさん!」
「おじさんじゃない」
 春夏秋冬はその四文字に少し眉間にしわを寄せた。いつもニヤニヤしているあの男があんな顔をするなんてずいぶんと珍しいものを見たものだ。二ノ前はこっそり笑いながらココアにマシュマロを浮かべる。
「どうぞ」
「……くれるの?」
 少女に熱いココアの入ったカップを差し出すと、少女はきょとんとした顔をする。その意味が分からずに首をかしげると少女はソファにちょこんと座ってカップに手を伸ばした。
「おにいちゃんはマ法使いが嫌いでしょう?」
「なん、で」
「おんなのカンー」
 ふうふうと息を吹きかけてココアを冷ましながら、少女はこともなげに言う。
「マ法使いが嫌いなのに、私においしいココアをくれて、わらうのねー」
「……本当だ」
 少女はカップに口をつけ甘さにへにゃりと顔を緩めた。
(マ法使いなんて嫌いだよ)
 そのはずなのに、同じ空間にマ法使いが二人もいるのに、二ノ前はいつの間にか笑んでいる。マ法使いが嫌いなのに。怖いのに。
(でも俺は知った、知っている)
 この少女が自分を傷つけないことも、春夏秋冬が彼なりに二ノ前を守ろうとしていることも知っている、だからかもしれない。二ノ前はそっと自分のコーヒーにミルクを投入する。ほんのり甘く香る白い液体が黒に一瞬轍を描いて、消えた。
 ――いつか、全てを知り、この黒い感情が消える日が来るだろうか。
 ふわりと白い煙の向こう、春夏秋冬がくつくつと喉を鳴らして笑う気配。白髪の男はいつものように鎖のついた眼帯を指で弄び、部屋に漂う香りに右目を細めた。
「俺にもコーヒー」
「はいはい」
 二ノ前は少し色のやわらいだコーヒーを手に立ち上がる。甘い匂いと香ばしい香りが混ざり合ういつもの事務所。窓からのぞむ空は、春夏秋冬の瞳のように蒼く高く澄んでいた。


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うさぎの青ガラス

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