信じるもの だしのや
暖かな春の日差しが降り注ぎ、微風が新緑の木々を揺らす。
久しぶりの陽気に誘われてか、公園を訪れる人々は絶えることがなく、そこかしこでボール遊びに興じたり、揃ってお弁当の包みを開いたりする姿が見受けられる。
思い思いの時間を過ごし、誰もが楽しい休日を満喫している。
しかしその中でも、芝生に腰掛けたあるカップルは、一際幸せそうな雰囲気を漂わせていた。そしてその二人が、遠方からでもはっきりわかるほどにやたらとベタベタしているので、芝生の周りには誰も寄りつこうとしなかった。
「マキちゃん、あーんしてみて」
「はい、あーん♪」
甘ったるい会話の後に箸で差し出された、だし巻き卵を頬張る青年が一人。その表情は実に幸せそう……というより、気が緩みきった間抜け面である。
「どう? おいしい?」
彼女は目をぱっちりと開き、満足そうに咀嚼する彼をまじまじと見つめる。
「うん、ちょー美味い!」
「ほんと? よかったあ。なかなか卵が綺麗に巻けなかったから、結構失敗しちゃってさ」
ほっと一息つき、笑顔を綻ばせる彼女。「そんなことないよ」と彼は首を振り、感心したように頷いた。
「やっぱり、くゆりちゃんは何やっても上手だよなあ。俺、まだ目玉焼きも十分に作れないし、今度教わろうかなあ」
「えー? 一人暮らしなのに、自分でご飯作れないの?」
いいじゃん、別にー、と青年は笑う。それに釣られて、くゆりという彼女らしい女性も微笑んだ。
「マキちゃんも仕方ない子だなあ。じゃ、今度料理のいろはを教えてあげるよ。そうでないと、食べるものに困るでしょ」
「マジで? ありがとう、くゆりちゃーん! 大好きだっ」
マキは満面の笑みでくゆりにしがみつく。彼女のほうは「ちょっと、やめてよぉ」と言いつつも、満更でもないらしく、そのまま二人でだらだらじゃれ合っている。
周囲をまるで顧みない二人のデレデレぶりが頭に来たのか、たまたま向かい側のベンチに座っていたカップルが足早に立ち去った。その胸にはきっと、「何で俺(私)たちはあんな風に上手く行かないんだ」と葛藤を秘めていたことだろう。
ひとしきり芝生の上を転げ回った後、マキはふうと息を吐く。隣にちょこんと正座したくゆりの栗色の髪を撫でて、感慨深げに呟いた。
「――俺、幸せだな。ちょっと前まで、こんなひとときが俺に訪れるなんて考えもしなかった」
「前のお仕事って、すごく忙しかったんでしょ」
「うん。まあね」
答えながら、マキはごろりと芝生の上に寝転がる。空を仰げば、綿飴のような雲の塊が流されていくところだった。
「良かったね、お仕事変わって。仕事も楽しいけど、やっぱり健康第一でなくちゃ」
「ははは、そりゃ正論。でも、俺がそう思えるようになったのは」
そこで言葉を切り、はにかみながらマキは言った。
「くゆりのお陰、かな」
一瞬、彼女は目を瞬かせたが、やがてぷっと吹き出してくすくす笑い始める。
「なあに、それ? 何のドラマのセリフ?」
「ひどいな! 今の、俺なりにすっごい真面目に考えたのに」
「だって、どう考えてもカッコつけすぎじゃない」
「うーん……否定はしないけど」
「でしょ?」
二人は談笑し、そのうちにくゆりもマキを真似て寝転がる。
しばらくの間、二人は黙って春風に吹かれていた。近くのグラウンドで遊んでいた家族も何処かへ行ったらしく、そよぎの音だけが耳に残る。
「ずっと、こんな時が続いたらいいのにな」
「続くよ。きっと」
二人以外には誰もいない、公園の一角。
公園の木々は二人に陰を落とすことなく、静かに見守っている。
日が沈み始めた、午後のことであった。
「失礼します」
彼は定刻通り、社員ブースとガラスの壁で仕切られた、上司の部屋を訪ねた。モノトーンと少しのブラウンで調えられた空間に、淹れたてのコーヒーの匂いが広がっている。
ドアを閉め、黒人の男は上司に一礼する。「どうぞ、お座りになって」と彼女に勧められるまで、ウィリー・インデルは直立不動の姿勢を崩さなかった。
「すいませんね。忙しい時に呼びつけてしまって」
「いえ、構いません。ご命令があれば、すぐに馳せ参じるのが我々の役目ですから」
コーヒーカップを受け取り、「頂きます」と一言断る。お茶菓子もどうぞ、と差し出されたが、彼が自ら手を出す様子はない。
「春先はどこも慌ただしいでしょう。新入社員の手ほどきで、皆さん大わらわですからね」
「そうですね。ですが、いずれすぐに活躍してくれるものと期待しています」
ほんの少しカップに口を付け、ウィリーは僅かに上司の表情を伺う。
切り揃えられたブロンドの髪に、エメラルドグリーンの眼。いつでも穏やかな微笑みを湛えており、それは今この瞬間も変わることが無い。
だが、それは彼女の心からの笑顔ではないことを、ウィリーはよく知っていた。丁寧な物腰とは対を為す、冷徹で隙のない組織の幹部としての側面。彼女はまだ、それを隠している。
「――指令が気になりますか?」
心の内が読まれたような気がして、ウィリーは黙ったまま固く唇を結んだ。「ええ、少し」と答えるその顔は、上司と対照的に強ばっているように見える。
「大丈夫ですよ。あなたほどの逸材ならば、すぐに終わる仕事ですから」
「そうですか……。いえ、エリソン執行役直々の指令が私に下されるとは、珍しいと思いまして」
相手は何しろ、諜報・操作機関の全てを束ねる執行役シャロン・エリソンである。組織の根幹を担う重役から直接に命令があると知っては、平時から冷静な彼でも多少の動揺くらいはするものだ。
「確かにそうですね。でも、これも事情あってのことですから」
「事情……とは」
「任務の対象者が少し、特別な相手でしてね」
そこでシャロンは、意味ありげに笑みを投げかけた。
「キイチ・トモミヤ。この名前をご存じでしょうか」
視線を落として、しばしウィリーは黙考したが、そのような人物の名は記憶になかった。
「――いえ、私の知る限りでは存じ上げません」
そうかもしれませんね、と呟き、シャロンはカップを口元に運ぶ。
「彼がカーリーズを抜けたのも、十年も前のことですから。あなたぐらいの世代になれば、馴染みも薄くなるでしょう」
「カーリーズを抜けた……!?」
思わず、ウィリーは目を丸くして声を上げた。
任務の相手となる人物が、元は同じ組織の構成員であることも意外ではあった。だがそれ以上に、
「驚くでしょう? 彼は元々優れた諜報機関員として勤務していたのですが、忠心を捨ててカーリーズを脱退したのです。そればかりか、その後の追跡からも十年間に渡って逃げ続けている」
ウィリーは真摯に耳を傾けていたが、一方で信じがたい話だと思っていた。
彼の属するガーディアン・カーリーズには、そもそも組織を辞めるという概念が存在しない。組織に入るということは、総長の掲げる変革の理念に共感し、そのために死力を尽くすという誓約を意味する。そしてそれを守ることと引き替えに、構成員はあらゆるものを破壊し、理を歪める力を得るのだ。表向きはその強大な力を以て社会秩序を守護することになっているが、逆にあらゆる秩序を粉砕することが裏の目的とされている。
人には考えられない超越した力であるから、当然組織では厳密に管理が為される。万が一にも構成員が誓約を破棄し、管理の目から逃れようとすることがあれば、即座に脱退者の存在は抹消される。身体だけではなく、その人物が世界に存在していたという記憶ごと、である。
ごく稀に逃亡を企てる者がいるという話は、ウィリーも聞いたことがある。だが、どの話でも遅かれ早かれ最後には裏切り者が抹消され、似たり寄ったりな結末を迎えていた。だから、組織から逃れられる術など無いと、彼も信じ込んでいたのだ。
それがまさか、本当に脱走をやり遂げる人物が存在するとは思いもしなかった。キイチ・トモミヤとは、カーリーズの目を眩ませるほど優秀な諜報機関員だったのだろうか。
「キイチ・トモミヤは、現在カーリーズが取り逃している唯一の『標的』です。その彼を捕縛する任務を、あなたにお任せしたいと思いましてね」
組織の不祥事を打ち明けているはずなのに、語るシャロンの表情は嬉々としているように見えた。
「しかし、相手は十年間も逃亡し続けた人物なのでしょう。手がかりは何かおありなのですか?」
「ええ。彼自身の居場所を突き止めたわけではありませんが、彼に関わるある人物の情報を手に入れましたから」
シャロンは何かを手渡すべく、デスクの方へと向かう。
既に太陽はビル群の向こうに引っ込んで、夜の闇が街のそこかしこに忍び寄っていた。
「あー、今日はたっぷり遊んだ。明日も休みならいいのに」
思い切り背伸びをしながら、マキはマンションの廊下を歩く。マンションも夕闇に包まれ、あちこちでぽつぽつと灯りがつき始めていた。
「だめだめ。マキちゃん、怠け者なんだから、休みが続いたらダラダラするだけでしょ」
「手厳しいなあ」
苦笑しながら、マキは頭を掻く。
自宅前に辿り着くと、くゆりは振り返って微笑んだ。
「送ってくれて、ありがと。マキちゃんも明日仕事なんだし、早く帰りなさいよ」
「はいはい。わかってますって」
手を振り、マキは元来た道を帰ろうとする。が、何を思ってか立ち止まり、くゆりを呼び止めた。
「今日はありがとうな。あちこち付き合ってくれて」
珍しく、子どもっぽくない物言いをするマキ。くゆりは僅かに不思議そうな顔をしたが、またすぐに穏やかな笑顔に戻った。
「なあに、今更。いつものことじゃない」
いつも通りの、彼女の姿。
それを見て、マキは何故か少し安心したような気がした。
「――そっか、そうだよな。じゃ」
「気をつけてね」
くゆりと別れ、マキは階段を降りていく。夜の街を照らす灯りの群れは、火の光のようにどこか踊って見えるような気がした。
マンションの出口に立ち、もう一度くゆりがいた辺りを見上げる。ありがたいような、照れくさいような、そんな気分になって、悠揚とした足取りで彼は帰路についた。
今の仕事を他の機関員に引き継ぎ、すみやかに任務に就くように指示されたウィリーは、その日のうちに任務の下準備を始めていた。
目標とする地点、参考人として同行させる人物の情報を確認し、空間断層の経路を確保する。いずれも現段階では特別の問題もないとのことだったから、明日には任務の開始に移れる見込みだ。
ただ唯一の問題は、任務に同行する機関員であった。
あくまでも秘密裏に行動することが諜報機関の仕事だから、それほど多くの機関員は連れて行かないことが普通である。今回の任務も、彼が従えるのは一人だけなのだが、その一人がいわゆる問題児なのであった。
ウィリーは寮へと足を運び、当の本人が住処とする部屋へと向かう。
ドアをノックすると、「入りやがれ」と、何ともぶっきらぼうな返事をされた。ウィリーは別段不愉快に思うこともなく、そのまま許可された通りに足を踏み入れる。
「ケッ、出やがった! テメー、噂によりゃあ、秘書エリーザに次いでエリソン専務のお抱え機関員になっているそうじゃねえか。今回も直々に任務を承ったからって、調子に乗ってんじゃねぇだろうな? ああ?」
ウィリーの顔を見るなり、お世辞にも良いとは言えない人相の若者は、ありったけの不平不満をぶちまける。しかしウィリーのほうはいたって冷静に、用件を端的に伝える。
「ヘジャヴィ・スネーキスタ。元カーリーズの諜報機関員キイチ・トモミヤの捕縛任務に協力を要請する。シャロン・エリソン執行役からの依頼だ」
ふんと鼻を鳴らし、ヘジャヴィと呼ばれた若者はふんぞり返って椅子に腰掛ける。舌で唇をなめ回す仕草が、蛇のように見えないこともなかった。
「いいか。オレはエリソン専務が言うから、仕方なく協力してやるんだ。テメーだけの依頼じゃあ、死んでも命令なんか受け付けてやらねぇよ」
またこれだと呟き、ウィリーは呆れたように首を振った。
「お前の悪い癖だ。そうやって自分の意地を張るから、任務でも失敗が続くんだろう」
「うるせえ! オレにはオレなりの拘りってやつがあるんだよ」
物わかりの悪い奴だな、と嘲笑する。それに対し、ウィリーは冷めた目をしたまま、思いつくヘジャヴィの失態を列挙して言う。
「何の計画もなく銀行を襲撃し、ステンキルファミリーとカイ・カシュガルの一味に袋だたきにされる。ガーディアン・ラークシャマナのイルマ・ブラウニング構成員に不要な因縁を付け、逆に負傷しただけでなく、カーリーズの評判を落とす。他にも、民間人への脅迫や傷害行為、無銭飲食、市街での暴走……」
過去の失態や悪評をこれでもかと持ち出され、流石にヘジャヴィも渋い顔をする。
「今お前がやっていることは、並みのチンピラ以下だ」
どうしようもないヘジャヴィの現状をそう切り捨てたウィリーに、堪忍袋の緒が切れたらしく、「んだとコラァ! もっぺん言ってみろやボケカス○×……!」と、訳のわからない怒声を上げる。
「つまり! 今回の任務はお前への救済措置でもあるわけだ。これでエリソン執行役の信頼が回復できなければ、総長が直接お前に制裁を下すとおっしゃっていた」
「な、何だと……!」
総長の名前が出されるなり、ヘジャヴィの顔が青ざめる。厚かましい彼でも、あのおぞましき狂気の総長に刃向かうほどの根性は持っていないらしい。
「現状がまずいとわかれば、すぐに支度をしろ。明日の朝には出発するからな」
それだけ言い残し、ウィリーは後ろ手でドアを閉めた。いちいち説得するのに彼も疲れたので、嘆息し、自身の部屋へと向かう。
恐らく、今度の任務ではトモミヤ元構成員との戦闘は避けられないだろう。戦闘は決して不得手ではないが、十分に気力を養っておかねばならない。
そう思い、ウィリーは気を引き締めた。
明くる日、マキはくゆりに借り物をしていたことを思い出し、通勤の途中で寄り道をしてマンションを訪ねていた。
「あぶねー、あぶねー。カード借りっぱなしで、また怒られるところだった……」
たまたま財布の中に突っ込んであったのを、発見できて良かったとマキは思う。何かと忘れ物が多い方だから、そのままだとカードを借りたこと自体をすっかり忘れていたに違いない。
目的地に到着し、インターホンを押す。
しかし、待っても返事は来ない。
「やばいな、もう仕事行ったのかな」
当てがあったわけではないが、とりあえずドアノブを捻ってみる。すると、予想に反してそれは素直に動き、ドアが開かれた。
「あれ?」
もしや、昨夜鍵をかけ忘れてしまい、そのまま寝入っているのだろうか。しかし自分と違って、規則正しい生活を送っているくゆりには珍しい、と思いながら、マキは家の中に足を踏み入れる。
「おい、くゆりー?」
誰もいないフローリングの廊下に、声が反響する。
朝から押しかけるのはまずいかと思いながらも、マキはリビングに続くドアを開いた。
リビングにも、人の姿はない。テレビは沈黙し、観葉植物も静かに佇んでいる。
ただ、明らかに普通ではない変化が一つだけあった。それを再び目にすることはないだろうと信じていただけに、マキの衝撃は尋常ではなかった。
「何で……何で、これが……!」
愕然として、マキはそれに歩み寄った。
リビングの空間に刻まれた、黒三日月の紋様。彼が捨て去ったはずの、ガーディアン・カーリーズの掲げる紋章に他ならないものだった。
空間を引き裂き存在する紋様に触れ、マキはその向こうから隙間風が吹き込むような違和感を覚えた。
「まさか……空間断層の?」
事の重大さを悟ったマキは血相を変えて、全ての部屋に飛び込む。名前を呼びながらくゆりの姿を探したが、彼女がいないという現実を突きつけられただけだった。
(くゆりが、連中に連れ去られた!)
リビングのテーブルに手をつき、マキはふらつく頭を抱えた。全身の血の気が失せてしまったかのように、力が入らない。くゆりを災禍に巻き込んでしまうなど、全く想定をしていなかった。
マキは確かに、自分が存在したという痕跡や事実を持ち逃げした力によって残さず歪め、消してきたはずだった。存在を悟られないようにする術は機関の中でもマキが最も長けていたから、今まで跡をつけられることもなく、身を隠すことができたのだ。
しかし、ついにマキは足取りを捕まれた。くゆりが連れ去られたのはそのためだと、マキは自責した。
霞がかかったように、頭の中がぼんやりとしていた。一体どうすればと途方に暮れていたところ、ふとテーブルの上の置き手紙のようなものに気がついた。
封を開ければ、それはくゆりのものでないことが字面からすぐにわかった。
宮村 真希 殿
突然のご無礼、お詫び申し上げる。急な話だが、貴君の元上司であるシャロン・エリソンが貴君との面会を所望している。空間断層の経路を抜け、ガーディアン・カーリーズ本部へと参られよ。なお、
ウィリー・インデル
「ふざけるな! くゆりを人質に取って、俺をおびき出そうって言うのか!」
激昂し、書状を床に叩きつけた。
つまり、こちらの指示に従わねばどうとでも彼女を扱える、ということだろう。わざわざ本部に招き寄せるということは、恐らく援助の要請を阻む意図があるのだろう。
最早、マキに提示された選択肢は二つに一つしかない。
カーリーズ本部に殴り込み、彼女を助けるか。
自らの身を守るために、彼女を犠牲にするか。
「――ああ、行ってやろうじゃないか」
怒りのままに拳を握り締め、羽織っていたスーツの上着を脱ぎ捨てる。刹那、彼の周囲の風景が歪み、その後には黒衣に身を包んだ『真希』がいた。
黒三日月の扉を開き、異空間へと真希は突入する。
(どうか、君だけは無事でいて)
ただ、それだけを願って。
「おい、ウィリー! 野郎、空間断層に入ったみたいだ。もうすぐそっちに出てくるぞ」
わかった、と通信機に向かって返答し、手短にウィリーは指示を下す。了解した部下たちは拡散し、狙撃の準備に入った。
彼が出現位置に指定した階下のホールは、武装した機関員たちに包囲され、物々しい雰囲気に包まれている。恐らく、キイチ・トモミヤはここに到達した瞬間に絶命することになるだろう。
「私を使って、マキを連れ出すつもりなんですか」
ウィリーの思索は、背後から突き刺すようなくゆりの問いで阻まれた。いつもの愛嬌は消え失せ、その表情は険相というほかない。
「大人しくしていろ。悪いようにはしない」
ウィリーはそれで会話を打ち切ったつもりだったが、なおもくゆりは食い下がろうとする。
「あなたたちは何者なの? マキを殺して、どうしたいの?」
ウィリーは答えない。
「何も、答えないつもりなんですか」
「そのつもりだが」
淡々と答える彼に対し、くゆりは固く唇を結んでウィリーを睨みつけていた。
「……あなたたちが、マキのことをどう思っているか、私にはわかりません。でも、彼は私にとって大事な人なんです」
絶対に、マキを殺させたりはしない。
大きな声ではなかったけれど、ウィリーの意識に響くほどの力が言葉にはあった。
ウィリーは着々と進む階下の戦闘準備を眺めつつ、ため息をついて首を振る。
「私のほうこそ、あなたがキイチ・トモミヤをどう思っているか理解できないが」
振り返り、彼はくゆりと対峙する。
「彼はそもそも、あなたたちの言う一般人ではない。破壊と歪みの力を手にした、カーリーズの諜報・操作機関員だ。彼は恐らく、そのことを人に打ち明けたりはしなかっただろう」
だが、と言葉を続け、くゆりの目を見据える。
「情報によれば、あなたは彼がカーリーズを脱走してから、最も長く彼と接していた人間だ。そうであれば、彼が普通でないことも察知していたのではないか?」
くゆりは僅かな沈黙を挟み、答える。
「ええ。それが、どうしたんですか」
「あなたたちの社会では、異端の人間や抜きん出た力を持つ人間は忌み嫌われる。『出る杭は打たれる』と、あなたたちの言葉では言ったか。キイチ・トモミヤもそれに属する人間であると知りながら、あなたが何故親交を保ったのか、私にはわからない」
正直な感想と疑念を、ウィリーはくゆりにぶつけてみる。
彼にしてみれば、わざわざ人一人を取り返すために危険に飛び込む真希も理解できなかったし、彼女の言葉もぴんと来るものが無かった。
しかし、くゆりは臆することなく、堂々とした口調で答えた。
「そんなの決まってるじゃないですか。さっき言ったとおり、彼は私にとって大事な人。それ以外に、何の理由があるんですか?」
「それが、わからない。単純に信頼できる友人を作るならば、彼を選ぶ必要はないはずだ。わざわざ組織から追われるような彼を、何故?」
「わざわざ、じゃありません。彼だから、なんです」
くゆりはどこかわからない、窓に広がる異国の風景を眺め、述懐した。
「――彼も、私も、学生時代はひとりぼっちでした。彼は得体の知れない青年、私は受刑者の両親に育てられた娘。二人とも、心から親しくしてくれる友達がいなかった」
少しうつむき加減で、話を続ける。
「それで二人とも、厭世的になってたんです。どうせ人と交わっても、いいことないって……。でも、偶然にそんな二人が出くわしたら、馬が合うって言うのかな? 不思議と話が合ったんですよね。根暗同士なのにそんなことあり得るのか、って話ですけど」
準備が整った報告を、ウィリーは受けていた。一言二言の指令を出し、くゆりの話に耳を傾ける。
「実際、楽しかったんです。何気ないお喋りとか、一緒にいる時間が……。それでやっと私も彼も、友達がいることの安心感を思い出しました。今みたいに、笑って、泣いて、喜んで暮らせているのは、彼と出会ったお陰なんです」
真希と出会ってからの日々を思い出してか、くゆりの緊張も少しは和らいだように見えた。ウィリーは否定することなく、ただ沈黙している。
「彼も私も、お互いにとって大事な人間だ、って気がついたのはそれからでした。二人にとって最初の親友でしたから」
一通りの話を終えて、ふうとくゆりは息を吐く。ウィリーは腕組みをして頷き、「なるほど」と言葉を漏らした。
「わかって頂けましたか。彼が大事な人であることの理由」
「大体の事情はわかった」
「そうですか。じゃあ、彼は殺さないで下さい」
決意の目で、くゆりはウィリーを見据える。
「決めたんです。二人で力を合わせてやっていこうって。彼を殺すなんて、絶対にさせませんから」
こういうのを眼力というのだろうか、とウィリーは考えた。言葉からは勿論、彼女の気迫からも、それが嘘偽りでないことが伝わってくる。
彼女が、逃亡者キイチ・トモミヤを大切にする理由。それは彼も十分に納得はできた。
が、しかし。
「残念だが、私は説得に応じる余裕を持っていない。これはあくまで指令だから、機関員である私は忠実に任務を遂行しなくてはならない」
くゆりの顔が険しくなった、その瞬間であった。
無数の銃声の木霊。と同時に、怒号が階下から聞こえてきた。
「野郎ども、キイチ・トモミヤを逃がすなあ! 絶対にぶっ潰すんだぞ!」
ウィリーは駆け足で吹き抜けのほうに歩み寄り、階下の様子を伺う。
どうやらカーリーズ本部に侵入した真希は、狙撃の嵐をかいくぐり、この上層へと迫っているらしい。真希の後を追って空間断層を走っていたヘジャヴィは、見るも不気味な大蛇の怪物へと変貌し、疾走する真希を執拗に追い回している。
「ヒャヒャヒャ、逃げるだけかよ、オイ! オレとやり合う勇気もねえのかあー!?」
鎌のような爪を振り回しながら、身軽に攻撃をかわす真希を追う。が、真希のほうもそろそろヘジャヴィが鬱陶しくなってきたらしく、踵を返して拳を作る。
「いちいちうるさい蛇だな!」
爪の横薙ぎをかいくぐり、懐に飛び込んで正拳付きをお見舞いする。「グベェ」と妙なうめき声を上げたヘジャヴィに、更に顔面シュートをお見舞いした。
破壊の力で強化された蹴りは巨体を吹き飛ばし、そのままヘジャヴィは階段を転がり落ちる。はずみで、何人かの機関員が巻き添えを食った。
「うげげげ……。な、なかなかやるじゃねえか。仕方ねえ、ここはオレの脱皮覚醒の奥義を使って――」
「脱皮なんてしてんじゃねーよ!」
段上から、真希が跳び蹴りを食らわせた。さらにヘジャヴィはもんどり打って、壁に激突する。どうやら伸びてしまったらしく、ぴくりとも動かなくなった。
「ふう、面倒くさいことさせて……。で、それよりもだ」
くゆりの名前を、天に向かって張り裂けんばかりの大声で叫ぶ。その所在を問う真希の声に、くゆりは上層から大きく手を振った。
「マキちゃん! ここ、ここだよ!」
「そこかあっ! よし、待ってとけよっ!」
にやりと笑い、猿の如く真希は吹き抜けのホールを駆け上がる。いくら超人の集団といっても、彼のような芸当はなかなかできるものではないらしく、狙いを合わせようとする機関員たちも動揺を隠せない。
勿論、それはウィリーとて例外ではなかった。
(ヘジャヴィも決して弱くないが、奴をあれだけで打ちのめすとは……。この青年、侮れない)
自分が出るしかないかと、ウィリーは全身の力を集中させる。
「とーう!」
真希が手すりを跨いだその時を狙って、ウィリーは腰に提げていた拳銃の早撃ちを繰り出す。しかし、真希は発砲の瞬間よりも早く反応し、破壊の弾丸を難なく
そして真っ先に、くゆりの元へと駆け寄った。
(甘い!)
再び、真希の足を狙ってウィリーは引き金を引く。
そのはずだった。
しかし、彼はどういうことか、僅かに指の動きを
その間に、真希はくゆりを抱きかかえ、神速の如き速さで再び階下のホールへと飛び降りる。
攻撃の機会を見逃してしまったウィリーは、二人がしてやったりと笑いながら逃げる様を、黙って見届けることしかできなかった。
「……私は、何を迷ったのだろうな」
自嘲的に呟き、ウィリーは仕方なく拳銃をホルスターに収める。
だが、再会したあの二人の満面の笑みを見れば、それも不可抗力であるような気さえした。彼には、あの時を崩すような勇気が無かったのだ。
それでも、追撃は行わねばなるまい。
そう思い、彼が振り返ると――そこにはシャロンがいつの間にか立っていた。やや動揺しながらも、彼は苦り切った様子で事の不始末を詫びる。
「申し訳御座いません、エリソン執行役。目の前に標的を捉えておきながら、逃亡を許してしまいました」
「いえいえ。ここまで彼を連れ戻してくれただけでも大きな殊勲ですよ。見ての通り、彼は神速の逃げ足が持ち味ですからね」
さて、と言うシャロンの微笑みは、穏やかなそれではない。至極の冷笑である。
「後始末は、私が請け負いましょうか」
曇天の下、疾風が吹き荒れる。
そこかしこで二人は機関員たちと出くわしたが、真希の逃げ足についてくる者は一人もいなかった。中心部の公園を駆け抜ける中、また一人と振り切り、真希は尋ねる。
「くゆり、どこも怪我はない?」
「ええ、大丈夫。別に殴られたりとかはしなかったから」
「良かった。何かあったら、俺もっと大暴れしてたかもしれない」
「今も十分暴れてるじゃない」
「ははは。そりゃもっとも」
普段通りの、気楽な会話。くゆりが無事で良かったと心から安堵しつつも、真希には不安なことが一つあった。
「……なあ、くゆり」
「なに? 今喋ると、舌噛みそうなんだけど……」
「ああ、ごめん。でも、一個聞いておきたいことがあってさ」
真希はくゆりの顔を覗きこんだが、先に口を開いたのはくゆりの方だった。
「それってさ、もしかして『俺を嫌いにならない?』とか、そういう内容?」
文言そのままを言い当てられた真希は、「ええ?」と驚嘆する。
「な、なんでわかったの?」
「だって、マキちゃんの台詞回しってドラマみたいにベタなんだもの。私も付き合い長いから、大体先が読めるしね」
「……ははは、俺って一体……」
肩の力が抜けてきた真希の肩を、「精進しなさい」とくゆりは叩く。
「今更嫌いになったりしないよ。二人は二人のあるがまま、って、前からわかってるじゃないの」
「そっかー。うん、まあそうだよな。よし、じゃあ後は全力で逃げるだけだ!」
「おー!」
もう出口は、すぐそこに見えている。敵の姿も無く、あとはまっしぐらに突っ切るだけ――。
だが、二人の逃亡は許されなかった。
あと数歩で門に辿り着く、その刹那。
駆け抜けたのは、真紅の風。
そして、真希の眼前には、かつての上司が立ちはだかっていた。
「相変わらず、見事な早足ですね。追いつくのに随分時間がかかってしまいました」
そう言いつつも、相手は疲労している素振りさえ見せない。鷹揚としていて、余裕すら感じさせる立ち振る舞いだった。
走る足を止めて、真希の顔から笑顔が消えた。真希だけではない、くゆりにも恐怖の色が瞬時にして現れていた。
「シャロン……エリソン……!」
「おや、もう十年も前のことなのに、覚えていてくれましたか。友宮希一――いえ、宮村真希さん」
エメラルドグリーンの眼を細めるシャロン。不吉な風が、彼女のブロンドの髪を撫でた。
「ええ、覚えてますよ。そりゃあね」
言葉に反し、真希には余裕が感じられなかった。
「血の色を表すような、真紅のスーツ姿。それに、神懸かりにも等しい剣術。あんたの戦いぶりを見れば、誰だって忘却するはずがない」
「お褒め頂き、光栄に思いますよ。私も、あなたの活躍ぶりを忘れたことはありません」
シャロンは、こつこつと音を立てて歩み寄る。左の手に、刀の鞘を提げて。
「真希さん。もう一度、我々カーリーズと共に働く気はありませんか? ツイン・ヴァラゼ総長も、他の執行役も、諜報・操作機関員としてのあなたの功績を高く評価しています。私も、できればあなたに復帰してほしいと思っているのですが……」
「断る!」
気圧されることなく、真希ははっきりと宣言する。
「お前たちの破壊の理念に納得できなかったから、俺はカーリーズを辞めたんだ。少々の人の命を踏みにじってでも、世界の変革を呼び込むなんて、俺にはわからない。あんたと共闘することは、もうあり得ないんだ。二度と! 俺には、もっと大事なことがいっぱいあるからな」
「マキ……」
不安げに見つめるくゆりを、大丈夫だと真希は言い聞かせる。彼女を下ろし、少し離れるように伝えると、真希は拳を構えた。
「そうですか。残念でなりません」
シャロンは目を伏せ、首を振る。しかし真希は、それが本心からの言動ではないことを十分に知っていた。
「化けの皮が俺に通用すると思うな。その刀を持ってきたってことは、最初から俺を殺すつもりだったんだろ」
真希の指摘に、今度は逆に微笑するシャロン。しかし、最早純粋な意味での笑みではなくなっていた。
「まさか。そうではありませんよ。あなたほどの有能な人材をみすみす見逃してしまうのは、組織にとっても大きな損失ですから」
ただ、とシャロンは言う。
その刹那から、真希とくゆりは全身が痺れるような違和感を覚えた。
「どうしてもあなたが拒否するというのであれば……という時の、最終手段ですね。破壊と歪みの力は、取って付けてができるほど器用な性質は持っていませんから。一度力を授けた人間が、無用な災禍を招かないようにするためには――」
シャロンは、鞘から刀をゆっくりと抜く。
白刃が、僅かな太陽の光を受けて不気味な輝きを放っていた。
「その存在を抹消する他、ありません」
「ああ、そういうと思った! なら、もうあんたをぶっ飛ばしてもいいってことだ!」
瞬時にして、真希の姿が消える。
くゆりはあっと声を上げたが、シャロンは微動だにせず、ただ黙するのみである。
「――あなたは、一番肝心なことをお忘れになっていたようですね」
呟き、シャロンは刀で虚空を一閃する。
「あなたが存在そのものを眩ませ、闇討ちする技術に長けることは私も承知しています。そして、私の心を読む力ならばたやすくあなたを捕捉できることも」
「……え……?」
くゆりは、シャロンの言葉と目の前の現実を疑った。
そこは確かに、虚空のはずだった。
だが今正に、ないはずの血が滴り落ちているではないか。
「私の前に立った瞬間から、あなたがどのような行動を取るつもりなのか、心の内は読めていました。動きも、言葉も、その先に待っている未来も。残念ですが、それがあなたの結末です」
シャロンの刀には、血糊がこびり付いていた。
勝負は決着したと言わんばかりに、シャロンはそれを振り払う。
存在しなかったはずの真希が現れ、鮮血と共に倒れ伏したのは、それとほぼ同時のことだった。
「真希っ!!」
悲鳴に近い叫びを上げて、くゆりは動かなくなった真希に駆け寄る。一撃で瀕死の重傷を負った彼の体を抱えると、くゆりの衣服にもべっとりと血がこびり付いた。
「……く……ゆり、お前は、逃げ……」
「こんな時にまで、何冗談言ってんのっ! 真希を置いて、私だけ逃げるわけないでしょっ!」
ワンピースの裾を破り、真希の血を何とか止めようと止血帯を作る。だが、彼女の抵抗を嘲笑うかのように、真希の血は留まることを知らない。
「幡山くゆりさん。彼はもう、長くないのですよ」
「あなたは黙ってっ!!」
哀れむように声を掛けるシャロンを、くゆりは一喝して黙らせようとする。しかし、なおもシャロンは冷めた目でくゆりを見下ろす。
「彼は存在が抹消される危険を覚悟の上で、カーリーズを抜けた。この結末が訪れたことも、彼の予測の範囲内のはずですよ?」
「それが……それが、どうしたって言うの!? 真希も、私も! 二人で頑張って、やっていこうって……! そういう未来を望んだんだから! 絶対に、死なせたりするもんか!」
「……く、ゆり……」
真希の口からも、一筋の血が流れ落ちた。
彼の血のように、いつの間にか流れ出たくゆりの涙も止まりそうになかった。それでもなお、彼の命をつなぎ止めようと彼女は抗う。
ウィリーがシャロンの応援に駆けつけたときには、全てが終わっていた。正確には、今正に終わろうとしていた。
血の海は、キイチ・トモミヤのものに他ならなかった。笑顔に溢れていた二人が、今は絶望に瀕している。
それが任務の完遂のためにあるべき姿だとも思ったし、何故か納得ができないようにも思った。彼はもう、自分が葛藤してもどうしようもないことを悟っていた。
今ここで、歪みの力を使ってキイチ・トモミヤを蘇生することもできるだろう。だがそれは、他ならぬウィリーの裏切りを意味する。例え彼がキイチ・トモミヤを回復したとしても、待ち受ける結末は同じ血の海だろう。
(だが、これで良かったのだろうか)
今まで人の命を扱うような任務は、幾らでもこなしてきたはずだった。だが、こんな戸惑いを覚えたのは、この瞬間が初めてだった。
「真希……真希……! 絶対に、死なないでよ!」
真希だけでなく、くゆりも全身が血みどろに覆われていた。最早声を発することは叶わず、真希は目の動きだけで彼女に何かを訴える。
「幡山くゆりさん。私は、規律に従って友宮希一元機関員の存在を抹消せねばなりません。場所を空けて下さい」
シャロンの冷徹な声が、ウィリーの耳にも空虚に響いた。
「嫌です! 真希は、私が絶対に守るっ!」
全身の力を失った真希の体を、くゆりは守護するように抱きしめる。
だが、シャロンは残忍なほどに、あくまで冷徹であった。抵抗する彼女の眼前に、刃の切っ先を突きつける。
「急を要するわけではありませんが、あなたに固執されては少々困ります。場所を空けて下さい」
くゆりは頑なに、首を振って要求を拒み続ける。
ウィリーが口を開こうとする。が、動いたシャロンの目と視線が合い、彼の動きも止められた。
「やれやれ……。人間の意志とは、かくも強固なものですね」
そう言いつつも、シャロンが諦めるはずは無かった。
刃が閃き、くゆりの右肩を引き裂く。
悲鳴は、無かった。傷口を抑えることも、無かった。
ただ彼女は痛みに耐えて、真希を庇【かば】い続けている。
ウィリーは、彼女と彼の最期を既に予感していた。だからといって、意義を唱えることも、上司の行動を促すこともできなかった。
「くゆりさん。これは最後の通告です。あなたがそこをどかなければ、私は友宮希一……いえ、宮村真希と共に、あなたを斬り捨てます」
僅かに、真希が口を開いたようであった。ウィリーにははっきりとわからなかったが、「逃げろ」と叫んだようにも見えた。
「…………どうしても、彼を消す、って、言うんですか」
「私も仕事を請け負う身ですから。妥協はできませんし」
涙が止まらない目でシャロンを睨みつけ、くゆりは再び真希の体を抱きかかえる。
そして、遅々とした緩慢な動きながらも、彼の体を支えて歩き始めた。
シャロンは無表情のままそれを眺め、呟く。
「それが、あなたの結論ですね? では、あなたがそれを望むなら――」
背負った真希と、くゆりの目が合う。真希は怒っているような、泣いているような、喜んでいるような目をしていたが、少なくともくゆりの行動を咎めるようには見えなかった。
血と涙と汗で、くゆりの顔もぐしゃぐしゃになっていた。それでも、いつも通りのままでいようと、穏やかな笑みを浮かべた。
真希も、笑った。
そして、二人は一太刀で切り伏せられた。
ウィリーには、やけにその光景がゆっくりとして見えた。
抱きかかえるように二人が倒れる時も、二人の血が噴き出す時も、二人の五体が無となって四散する最期の時も、全てがスローモーションで再生された映像のようであった。
恐らく、二人はあの辺りで最期を迎えたのだろうと思い、ウィリーは目を向けた。だが、最早血の一滴すらそこには残されていなかった。今この時になって、二人の存在は完全に世界から、人々の記憶から、あらゆる記録と情報から消え失せたことだろう。
二人は、最初からいないことになってしまった。
「ふう。終わりましたね」
シャロンが刀を鞘に収めると、鞘が光を放つ。そして、黒三日月の紋章へと姿を変えていた。
「では、我々も戻りましょうか。真希さんに破壊された内装を修復しなくては」
シャロンは、いつもの勤めの姿へと戻っていた。あの冷徹な眼差しも、もう影を潜めていた。
「……ええ。そうですね」
彼の任務は、これで完遂したことになる。
踵を返すシャロンに続き、彼も彼女の背中を追う。
その途中で、ウィリーはもう一度元いた石畳の辺りを振り返る。
それでもやはり、二人が存在した証は残っていなかった。
それから、ウィリーの周辺で別段変わったことは起こらなかった。シャロン・エリソン執行役はいつもの通り、部下たちにあれこれと指示を下し、ウィリーもいつもの通り、受けた仕事をこなしていく。
唯一変わったことは、ガーディアン・カーリーズが本拠地を置くエレナルド国内で、大規模な暴動が発生したことぐらいだった。各種メディアとカーリーズ独自の情報によれば、新興宗教の教祖が信徒を扇動して決起を呼びかけ、無策が続く政府に対して宣戦布告まで発表したという。
これに対し、エレナルド連合王国政府は国軍による宗教団体の掃討を決定、民間組織であるガーディアン連盟も結託し、各ガーディアン組織が暴動の鎮圧に乗り出した。
そしてカーリーズも、名乗りを上げた組織の一つであった。
二人いる総長の片割れであるジェシカ・ヴァラゼは、中央広場に集結した機関員たちを鼓舞する。
「此度の戦いは、所詮無能なカスどもが企てた小競り合いに過ぎん! カーリーズに集う者ども! 全てを粉砕し、叩き潰し、灰燼に帰せ! 我らの絶対的な力を、地上のカスどもに、天上の愚神どもに見せつけよ!」
実に凶悪な演説だが、カーリーズの機関員たちは誰一人としてこの総長を疑わない。それ故、我々は狂気と破壊をもたらす軍として恐れられるのだろうと、ウィリーは考えた。
この後、執行役たちの報告が続き、「ま、みんな縁起いいし、ガンバレ!」と、験担ぎのつもりで謎の黄金の招き猫を掲げたエミリア・エレメンツ執行役の宣言で、ひとまず閉会となった。
絶対にエミリアさん勘違いしているよな、とか、招き猫と武運は違うだろ、といった疑問の声が多く聞かれる中、ウィリーは一人公園の芝生で仰向けに寝転がっていた。
なんとなく、一人になって気分を落ち着かせたいような気がしたのだ。
そこへ、大蛇モードのヘジャヴィがのしのしとやって来た。
「あーあ、こんなところで寝やがって。世話の焼ける馬鹿が」
ようやく見つけたぞと言わんばかりに、ヘジャヴィは持参した書類をウィリーに押しつける。
ウィリーはありがとうと答えつつ、受け取ったそれに軽く目を通す。どうやら、主戦場になると思われる国道周辺の地形図らしい。
「諜報・操作機関員が情報を持ってないでどうすんだ。このオレがわざわざエリート様のテメーの分を持ってきてやったんだから、感謝しろよな。ったく、戦闘に備えてこっちも調整に入ってるってのに、余計な手間をかけさせやがって。あの戦闘でぶちのめされたお陰で、結局エリソン専務には怒られるし……」
という調子で、ヘジャヴィは延々と文句を垂れる。
相変わらずだとまた呆れながらも、ふとウィリーはあることをヘジャヴィに尋ねたくなった。
「ヘジャヴィ」
「ああ? なんだよ」
「暴動鎮圧が始まれば、恐らく相手には大勢の死傷者が出るだろう」
「は? 戦なら当たり
「自分が死ぬ時、あるいは仲間が死ぬ瞬間に居合わせた時……。そのとき、人は何を思うと考える?」
「……どういうこと?」
いささかおつむの弱いヘジャヴィは、質問の意図が理解できないらしく、真剣に悩み始める。
ウィリーは天を仰ぎながら、話を続ける。青い空を見上げる彼の脳裏には、真希とくゆりの幸せそうなあの瞬間がよぎっていた。
「……質問を変えるか。お前は、人の死を以てしてでも貫き通すことを、正しいと思うか?」
「…………例えば?」
「例えば……そうだな。誰かを絶対に殺さなければならない、暗殺の任務とかだ」
まだわかりやすい方だとウィリーは思っていたが、それでもヘジャヴィはたっぷり十分は考え抜いていた。
そして、その結論。
「わからん!!」
「わからないか?」
「わかんねーよ、んなもん! 大体、正しいってなんだよ! それを誰が決めてるんだよ、そもそも」
ヘジャヴィの言が意外と的を射ているように思われて、ウィリーは少し目を丸くする。
「なんつーかだな……まあ、オレらにも暗殺の仕事とかはあるわけだ。けど、オレらは総長に忠誠を誓って、すんばらしい安寧秩序を作るためにぶち壊すわけで……いやまあ、だから! いちいち細かいことに拘るな、ってことだ!」
叫びつつも、自分が変なことを口走っているのではないかと、ヘジャヴィの周囲には不安のオーラがむんむんと漂っていた。
だが、要約すれば彼の言い分も納得できると思って、ウィリーは頷く。
「……そうだな。細かいことには、気を遣いすぎてはいけないか。ここで私が信念を曲げれば、貫き通した二人に笑われそうだ」
「へ? 今何つった?」
「何でもない。さあ、我らも出撃の支度に取りかかるぞ」
ウィリーはすっくと立ち上がり、先にオフィスへと戻ろうとする。
「おいコラ待てや! オレが呼びに来たのに、オレが遅れていくっておかしいだろ!」
ヘジャヴィが怒鳴り、彼の後に続く。
ガーディアン・カーリーズの本部は出撃を間近に控え、人だけでなく、建物全体が生き物のように活気づいているようであった。
それはまるで、破壊の衝動を堪えきれない、狂戦士の鼓動のように。
真希とくゆりの消滅の後には、何も残らなかった。
だが、最期を目撃した破壊と歪みの一戦士は、形のない、けれども存在する信念を受け継ぐ。
彼もまた、互いを信じ合えた二人のように、信じる道を貫き通すのみである。